3443通信 No.378
サッカーとゴムの木
院長 三好 彰
今年の夏は暑くなる。
それは近年の長引く猛暑のことではなく、4年に一度開催されるサッカーワールドカップが行われる開催年にあたるからです。
日本は好調な滑り出しで予選グループを2位通過した日本は決勝リーグにおいて、初戦で最強ブラジルと対戦しました。
――今年こそは優勝を!
その熱意を持った日本代表チームと、深夜にテレビ前に張り付いた多くの応援者が、ブラジルとの対戦を見守りました。
序盤から猛攻を仕掛けるブラジルに対して、危ない場面を何度も凌ぐのは驚異的な身体能力を持つ守護神・鈴木彩艶(すずきざいおん)。彼の守りを信じた日本のオフェンス陣は、果敢にブラジルゴールを狙います。
先取点は、まさかの日本。
ブラジル選手のパスルートを察知した佐野海舟選手が、一瞬の隙をついて相手のパスボールを奪います。そのまま疾風のごときスピードでブラジル陣地へと切り込んだ佐野選手は、ディフェンスの陰から強烈なシュートを放ち、ブラジルゴールの角へとボールを叩き込みました。
あのブラジルから初得点を奪った瞬間、日本中が歓喜に沸きました
――このままいける!?
そんな上がり調子のモチベーションで迎えた後半戦。相変わらずブラジルの攻撃は激しく、何度もゴール前での攻防が続きます。
そして後半戦の54分、彩艶の守りを突破したボールが日本のゴールネットを揺らします。その後も必死に守りながらチャンスを伺う日本ですが、後半戦のアディショナルタイムに入った95分。ブラジルからの逆サイドに振ったパスに交代出場のマルティネッリ選手がシュートを合わせ、それが決勝点となって試合は終了しました。
世界で戦える日本サッカー。
ですが、最強と名高いブラジルの壁はまだ厚く立ちはだかりました。
日本のサッカーブームに火が付いた1993年のJリーグの開幕。その翌年に開催されるサッカーワールドカップ・アメリカ大会を目指した日本代表チームには、いまだにサッカーファンの間で名の知られる個性的な黄金選手が勢ぞろいしていました。
アジア予選を1位で通過した日本は、次ぐイラクとの対戦で勝ち点1を収めれば、初の本選出場に王手をかけていました。
そしてのぞんだカタールの首都ドーハで行われた対イラク戦。日本は得点数2対1とリードしていましたが、試合終了間際のロスタイム(現在のアディショナルタイム)にイラクチームのコーナーキックから蹴り上げられたボールが、無念にも日本チームのゴールネットを揺らします。
ドーハの悲劇と呼ばれる、日本サッカー界の苦難の始まりを告げる大事件でした。
今回、日本代表チームを率いた森保(もりやす)監督も、ドーハの地に沈んだ選手の一人でした。
日本サッカー界では“世界で戦える選手”の育成に注力し、何人もの若手選手が強豪のヨーロッパリーグなどで研鑽を積んでワールドカップに向けてその牙を研ぎ続けてきました。
それでも、戦えることと勝つことの差は、大きな壁となって立ちはだかりました。
私は、1999年にアレルギー疫学調査と、2008年にブラジル友好協会主催の移民100周年記念行事に参加するため、ブラジルを訪れたことがあります。
広大な原生林の広がるアマゾン(図1)
轟音の大瀑布マナウスの滝(図2)
植民の歴史を示す人種の坩堝(図3)
そのどれもが刺激的で、一生忘れることのない旅の記憶として残されています。

図1 大アマゾンとアマゾン川 図2 マナウスの滝

図3 多様な生徒たち
その中でも、2008年訪問時にアマゾンのとある村にて、ゴムの木から得た樹液(図1)を用いた伝統的なゴム作りを見学しました。
上半身裸のおじさんが、白いゴムの木の樹液(ラテックス)をグルグルとボール状に纏めながら燻して殺菌していきます(図2)。
そのゴムを使ったボールを使って、ブラジルの子どもはボール蹴り遊びを毎日のようにやっていたのです。
「だから、ブラジルはサッカーが強いのか!?」
幼い頃からサッカーボールと共に育っているブラジルの子どもたちは、日がな一日サッカーをやり続けながら、その技術と体力を育てています。子どものまっすぐな集中力の全てをサッカーに投じるブラジルサッカーの根源を見て、これが強さの秘訣なのではないか? と、まだ温かくツンとした匂いのあるお手製ゴムボールを手にしながら感じました。

図4 ゴムの木からとれるラテックス 図5 お手製のサッカーボール(?)
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エッセイ『ブラジルでの花粉症(?)調査』(宮城耳鼻会報 87号|No.341)