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みみ、はな、のどの変なとき

2 エピソード1「床屋さんと瀉血」

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床屋さんのお店の前に看板として⽴っているグルグル回るシンボルは、何⾊から成っているかご存じですか︖

そう、⾚・⻘・⽩ですね。

そしてこの3⾊は、それぞれ動脈・静脈・包帯を表現しているのだそうで、つまり昔は床屋さんが外科医を兼ねていた証拠なのだそうです。

かつて幕末に漢⽅医が主流だった時代の⽇本では、内科的な治療が正統であって(これを「本道(ほんどう)」と称していました)外科的な治療は異端視されました。けれども膿瘍など急性の化膿性炎症が多かった当時、外科的な治療⼿段は劇的に有効で、オランダなどから移⼊された⻄洋医学は近代医学の基礎となりました。
 これを⾒ると、⻄洋医学では伝統的に外科系が優位であったかのように錯覚されますが、事実はそうではありません。17世紀のヨーロッパでは、幕末の⽇本と同じように内科医が医学の本流だったのです。

E.コンゼンツィウス編『ヨーハン・ディーツ親⽅⾃伝』(⽩⽔社)には、こう書いてあります。

「当時、学識ある医師はまだ外科⼿術を⼿がけなかった。医学は、⼤学で学問を修め病⼈に内科的治療をほどこすドクトルと、外科医の職務を果たした理髪師の⼆つに区分されていた。当時外科医はまだ⼤学で勉強しなかった。理髪師親⽅のもとで修業したのである。(略)それから親⽅候補職⼈は、最後は傷の⼿当てをする医師としての本格的な修業の道を、いくさと戦場とに求めた。軍医を⽇々新たな課題に直⾯させた戦争こそ、外科医にとって最上の学校だったからである。」

こうした理由から、その時代の外科的治療や瀉⾎は床屋さんに任されており、名残が現在の床屋さんの看板だという訳です(図2)。

図02 図2

 

関連リンク
 ・医学コミック「ピアストラブル殺人事件!?」
 ・3443通信 No.315 エッセイ「ピアスの穴の白い糸」

 

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