3443通信3443 News

 

みみ、はな、のどの変なとき

78 味覚障害

前話  目次  次話

 

味覚と⼀⾔で⾔うとき、実はいくつもの複雑な感覚の総合覚のことを、ひっくるめて考えています。例えば、夏の厚い盛りにざる蕎⻨を味わう場合のことを、想像して⾒ましょう。蕎⻨のざるとそば猪⼝が、私たちの⽬の前に供されます。まず感じるのは、蕎⻨とそばつゆの冷たさ、つまり温度です。暑い夏の盛りにざる蕎⻨を頂く、その最初の楽しみがこの冷たさであることを考えれば、温度が味覚を左右することは判ります。ついで頬張った蕎⻨の、⾆や頬の粘膜に与える快い圧迫感(深部知覚と呼ばれる感覚に関係しています)を感じます。

そう⾔えば、そもそも”頬張る”という⾔葉⾃体が、この感覚を⾒事に⾔い表わしています。空腹のときにはこの圧迫感だけでも、うまい、との感慨を覚えます。もちろん⾆を滑る蕎⻨の触覚も、味わいのうちです。そして蕎⻨そのものの味、そばつゆの旨味のすばらしさは味覚それ⾃⾝です。蕎⻨を、⼝に含んだ瞬間に感じる馨しさだって蕎⻨の醍醐味ですが、これは前項での述べたように後⿐孔を通じた嗅覚のなせるわざです。そして、蕎⻨を飲み込むときの”のどごし”の味わいと来たら、蕎⻨好きには堪えられない楽しみです。この”のどごし”の味わいは、触覚、深部知覚、後⿐孔を通じた嗅覚、の複数の感覚です。

このように味覚は⼝腔全体で感じ取る感覚であり、その内訳も実に豊富です。ですから、例えば嗅覚の障害でも味わいが害なわれ、味覚がおかしくなったような気がします。これを⾵味障害と呼ぶことは、前項で触れました。医学的には、味覚を論ずる場合単純に味だけ、つまり⽢味・塩味・酸味・苦味・旨味を対象とします。しかし味覚障害を論じるに際しては、味覚の持つ豊富な意味合いを念頭に置いておくべきです。医学的な味覚以外の障害でも、味覚全体が障害されたように感じることは多いからです。

⼀⽅、味と⾔うには感覚的に違和感があるかも知れませんが、医学的に味覚障害を検出するために、電気味覚という現象を利⽤することがあります。これは、⼝腔粘膜に直流電気刺激を加えると、釘を舐めたような感覚が⽣じます。この原理を使って、電流の微妙な強弱の差が判るかどうか、感じ⽅に異常が無いか、部位によって違いが無いか、を検出する⽅法のことです。味覚という感覚の幅広さを裏付けるエピソードとして、ご紹介しておきます。なお味覚は狭い意味でも、⼝腔全体で感じ取る感覚です。つまり味覚は3種類もの異なる神経によって⽀配されており、⾆表⾯・゛⾆の奥・軟⼝蓋(⼝腔内の天井部分)表⾯、即ち⼝腔全体で感じ取るのです。

ところで味覚は嗅覚と並んで、”⽣命に近い感覚”と呼ばれます。それと関連してか、⼈⽣の有り様を味覚で形容することが、時にあります。⻘春は⽢酸っぱいものですし、若い⼈間は考え⽅が⽢い訳です。つらい思い出は⾟く、塩味に塗れていますし、苦いことさえ多いものです。また、⼈⽣が思い通りに⾏かぬことを知り諦観を憶えると、その渋味を理解するようになります。

このような絶妙な⽐喩も、味覚が嗅覚とはまた違った意味で、”⽣命に近い感覚”であることから、⽣じているように思われます。もしかすると⼈間は、⼈⽣をも”味わう”ことによって、初めてその本当の価値を知るのかも知れません。

ところで視覚や聴覚は⼤脳⽪質において、検知(何か⾒える、何か聞こえる、ということが判るとの意味です)に関わる領野と、認知(⾒えているものが何なのか判別できる、聞こえているのが何なのか判定できる、という意味です)とに携わる領野とが異なります。従って脳卒中(脳⾎管傷害)などで⼤脳⽪質が傷害されると、物は⾒えるがそれが何なのか判らない、⾳は聞こえるけれどもどういう⾳か判別できない、といった現象が⾒られたりします。

それに対し嗅覚や味覚は、検知・認知の領野が別なのかあるいは分化していないのか、良く判っていませんでした。そこで私は、味覚障害について中枢神経疾患との関連を研究しました。嗅覚障害については、残念ながら機会が無く、検討できませんでした。

多数の中枢神経疾患について様々の検索を試みていますが、今回の対象は視床の脳疾患7例です。なぜなら⼤脳⽪質に⾏く味覚の神経繊維は、その直前に視床と呼ばれる脳の⼀部を全て通過しています。従って、ここの疾患で味覚障害が⽣じればその障害の性質は、⼤脳⽪質のそれを代弁していることになります。私のこの研究で対象となった視床疾患は、脳腫瘍の5例と⾎管障害2例でした。

すると興味深いことに、脳腫瘍5例中の2例と⾎管障害2例において、⽢味・塩味・酸味・苦味に関する検査で「味のすることは判るが、何の味か判定できない」との回答が得られました。これは、味覚の検知は可能だが認知はできない、という意味です。つまり、味覚においても視床の障害では検知域値と認知域値とは異なる訳です。そしてそれはとりもなおさず、⼤脳⽪質で味覚の検知領野と認知領野とが分かれていることを、指し⽰しています。味覚も、視覚や聴覚と同様の神経⽀配形式をとっていることが、世界で初めて⽴証されたのです。

こういった特殊な味覚障害はともかく、⼀般に多く⾒られる味覚障害は、⾎清亜鉛の低下によるものです。⾎清亜鉛の低下には、特発性と呼ばれる原因不明のものもありますが、ほとんどは亜鉛の摂取不⾜か過剰排泄によっています。

摂取不⾜というのは、例えばお年寄りで⾷が細くなった⽅などで、栄養が偏りがちの場合に発⽣します。また過剰排泄とは、薬剤性味覚障害の背景に良く存在するのですが、内服したある腫の薬剤が体外に排泄される際に、亜鉛と結合したまま⼀緒に体から出てしまう。そのために、体内の亜鉛が不⾜してしまう。そんな現象を⾔います。これらのうち薬剤性味覚障害は、最近とくに多く報告されるようになって来ました。

その治療として当然亜鉛の補充が必要ですが、現在亜鉛の内服補充には硫酸亜鉛が使⽤されています。薬剤性味覚障害の場合には、それと共に原因となる薬剤を中⽌して頂く必要があります。けれども障害の原因となる薬剤は、多岐にわたります。⼼当たりの⽅は、⼀度主治医にてご相談ください。

嗅覚障害のとき同様、デプレッションでは味覚も障害されます。⽣命の維持が困難になる、という訳です。それにしても味覚の傷害された⼈⽣は、正に”味気ない”ものでしょうね。

 

前話  目次  次話

[目次に戻る]