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2023年6月 No.340

 

グローバル・ファンド 戦略投資効果局長
【再】國井修先生の特別講演を行ないました5

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 前号から引き続きまして、院長の古くからの友人であり、院長が世界一尊敬する医師・國井 修(くにい おさむ)先生の特別講演の内容をご紹介いたします。

前号のあらすじ
 内戦下のアフリカ。白衣の代わりに防弾チョッキを着て命がけの支援活動を続ける國井先生。
 その効果が、エイズ死亡者の減少という目に見える形で出た事で、自身の活動の正しさと更なる支援活動への意欲へと繋がっていきました。

最後に
 本日お集りの皆さんにぜひ持ち帰って頂きたいメッセージが3つあります。

 1つ目は「パラダイム・シフト」。

 どういうことかと言いますと、いま皆さんは毎日いろんな仕事をやっていると思います。その中で少しでも「これはおかしいな?」「変えなくちゃいけないな!」と感じることがあると思います。でもやらなければいけない事がたくさんあるから、できないなぁと考えてしまいます。つまり現状維持ですね。
 変えなければいけないと思っていても、自分の仕事、自分の家庭など様々な理由があって出来ない事はたくさんあると思います。
 先ほどお話ししたように、アフリカではたくさんの人がエイズで亡くなっていても「薬が高いから無理!」と思ってしまえば、そこを変える事が出来なくなってしまいます。

 これをパラダイム・シフト。変えるにはどうしたら良いか。多くのお金を集めるにはどうしたら良いか?

 エンターテイメントとして色んな人たちが集まってキャンペーンをはって、人々の気持ちを動かして、理解を得られたならばそこに税金を使うという動きに変わります。0.2パーセントを2パーセント、3パーセントと上げていくのは実は難しくはないんですね。まずはやるのかどうか! これをやれない人が多いんですね。

 2つ目は「パートナーシップ」。

 1人では出来ません。我々だけでも先ほどお話ししたような成果はあげることは出来ません。
 我々のモデルは、21世紀型のパートナーシップ・モデルと言います。どう言うことか?
 まずお金を集めました。このお金を1つの機関がやるのではなくて皆で集まりましょう。皆とはその国の政権、ユニセフ、WHO、国連機関、あとはNGO、支援者、それだけではなくて実際にエイズや結核になった人。

 患者さんは、病気になった辛さが分かっています。このエイズにキャンペーンをやった時に、アメリカでは多くの人がエイズで亡くなっていました。自分の同僚が、愛している人たちが、たくさんエイズで亡くなっていました。
 どうにかして治療薬を広めないといけない! 良い薬を開発しなくちゃいけないという思いが、実際に研究になり、実際の資金調達となり、パッション(情熱)を実際の計画に繋げていく。

 当事者も、国連も、NGOも皆で協力して計画を実施していく。これがパートナーシップです。
 ですから皆さんも、難しい事があった自分だけでやるのではなくて、いかに良いパートナーをつくっていくか、これが基本ですね。

 3つ目は「Think globally, Act locally, Work for our Planet.」。

 この言葉は簡単に言うと「頭の中ではいつも世界のことを考えましょう」と言う事です。
そうした中で、皆さんが地域で、家の中でやれることは何か? と考えて下さい。

 私はその言葉に加えて「Work for our Planet」。

 最近は地球ですね。我々は国と国との紛争などありますけれども、国境を越えて、この地球と言うものを守っていき、地球のために何ができるのか考えなくちゃ時期なんですね。
 私が見てきた災害、その多くは人災です。自然だけじゃないんです。これは多くの人たちが色んな形でやってきた過ちがいま回って来ているんです。

 だから災害も頻繁に起きますし、なぜこんな地域に起きるんだろう? と言うような事が起きているんです。
 それは地球環境の問題かも知れないし、やはり我々先進国がたくさん使っている化石燃料も遠くアフリカで採掘するので、現地の環境が変わってきています。
 今までマラリアがなかった地域にまで森林伐採による地球温暖化が進み、マラリアを媒介する蚊がふえてきています。

 例えばケニア、エチオピアには標高2000mを超える山があるんですね。この上にある街には昔はマラリアなんて無かったんです。今ではどんどん増えているんですよ。気温が上がっているためですね。
 ですから我々は地域で生活をしながら、どうやってこの地球全体の環境を守っていくのかを考えなければなりません。

 自分たちの孫、曾孫の時代に必ずツケが回ってきます。それをどういう風に食い止めるか、それを考える必要があります。
 皆さんも、ここ仙台に住みながら地球の事を考えてほしいなと思っています。

秋葉賢也代議士へのメッセージ
 以前、ほかの議員の方と話をした時のエピソードです。
「いやぁ、國井先生。地球環境の大切さは分かりますが、いくら国際貢献をしようと言っても、自分の票にはならないんです」と言っていました。なので、議員さんの中で地球環境の事を考えている方はほんとに一部しかいないんです。

 実際に私たちのグローバル・ファンドを支えている議員連盟は約20名位いらっしゃいます。
 秋葉先生には、アフリカのケニアでお会いした際にアフリカの現状を見て頂いた事があるので、これからどれだけ日本の支援が大きく増やす事ができるのかを活動としてやって頂きたい。

 もう1つですが、日本にはたくさんの人財がいます。これは本当に財宝だと思います。この若い人財たちにどんどん海外に目を向けてもらって、そこで貢献できる人たちに増えてもらいたいです。
 これからは若い人たちだけではなくて、65歳で定年退職した後に老後をどうするか考えるのではなくて、もっとアクティブな人生100年計画として考えましょう。
 今まで働いてきた知見、経験を国際協力に使っていけるか、それを考えて欲しいんですね。

 今日いらっしゃる皆さんには、今やってらっしゃる活動に少し「国際協力」とか「海外の子ども、女性、亡くなられた方への支援」などをちょっと考えて欲しいなと思います。そういった夢が出来るんじゃないかと思います。
 もう1つ、秋葉先生や政治家の方には官・民・産業・学問といった分野を連携させて欲しい。それに世界各地で起きている事とうまく連携して欲しいと思っています。

 私は、地域と言うのはすごい力を持っていると思うんですね。この地域の力を使いながら、世界に繋げていって、先ほどの地球の環境問題ですとか、これは現場にいると本当にヒシヒシと感じます。何とかしなくちゃいけない! これが日本の中にいると中々気づけないんです。
 蛇口をひねると水は出てくるし、牛タンはどこでも食べられるし、お風呂にゆっくり浸かることもできますし、もうアフリカに行ったらそんな事は出来ないんです。
 水を見つけるために1週間歩いて水を探すっていうところもあるんですよ。考えられないんです。

 こうやって苦しんでいる人をどうやって救えるか、これをうまく繋げるような方法で政治家の先生にもぜひご尽力頂きたいと思います。でも政治家を動かすのは市民ですから、皆さんが立ち上がってそういう事を訴えてくれると、政治家も動いて、政府も動いてくれます。

 どうか皆さんのご協力を宜しくお願い致します。

 ここからは、参加者からの質疑応答の内容をご紹介いたします。

Q1.過酷な現場に居て嬉しかった事はありますか?
 現場に行くとですね、とっても嬉しくなる事がたくさんありますよ。2つご紹介しますね。

タンザニア奥地の医師
 1つは、つい最近行ってきたタンザニアでのエピソードです。
 この国の奥地、奥地と言っても本当に何もない僻地ですね。そこには医者が居なくて、作ることも出来ないです。医者を作るにはお金が掛かりますので。
 代わりに、中学校を卒業したら3年間は補助を受けて医療補助に従事するスタッフがいます。
 そんな方が本当にちっちゃい診療所で働いているんですが、1日100人の患者を診ています。分娩もします。エイズ・結核・マラリアの治療もします。

 ところが、その方は10年もその診療所に居て頑張っているんです。その彼が、グローバル・ファンドが来るようになって、薬が届けられるようになったと言って喜んでいたんです。
 今までは薬が無かったので、助けたいのに助けられなかったんです。
 それが今では、診断も15分で出来るような診断薬も出来たので、助けられる事が増えたんですね。

 その話を聞いて、僕は本当に嬉しかったですね。彼はたった3万円の給料でほぼ24時間働いている状況なんですね。僕はこう言った人たちの為にも、活動の幅を広げていかなければならないと思いました。

アフガニスタンで使い続けられた機材
 もう1つはアフガニスタンに行った時のお話です。
 この国はずっと紛争が続いている状態なんですが、ある街に日本で勉強した医師が勤める病院がありました。その病院には、今から20年以上前に日本のJICA(ルビ:ジャイカ)(国際協力機構)が支援を行って医療器材を贈ったんですね。

 そしてある時、私と、その医療機材の供与に協力してくれた先生と一緒にアフガニスタンの病院に行ったんですね。
 そしたら、20年前に贈った機材がそのまま大切に使われていました。それを見た時、私と供与に協力してくれた先生は、まさに男泣きでした。
 こうやって、我々のやった技術協力や人材育成は、ずっと内戦が続く混乱した状況でも繋がっていくんだと。人を作る事は国を作る事なんだと実感したんです。

Q2.命の危険を感じた現場はありましたか?
 一番ひどかったのは1993年のソマリアですね。
 皆さんは『ブラック・ホーク・ダウン』(図1)という映画をご存知でしょうか? アメリカで作られた当時最新鋭のヘリコプターが作戦中に墜とされて、その乗員をアメリカ軍が救出するお話です。

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 図2 映画ジャケットのイラスト

その事件が起きる数ヶ月前に、私はその現場であるソマリアの首都モガディシュに行きました。
 もうその時はソマリアへの民間航空機は出ていなかったので、ジブチから麻薬を密輸する飛行機に乗せてもらって入国しました。当然パスポートチェックなどもありません。そこからピックアップ・トラックに乗ってモガディシュまで行きました。

 街に入ると電気などはついていませんし、空を見ると迫撃砲の弾が飛び交う空気を裂くような音が鳴り続けています。
 ホテルは無かったので、ソマリア人協力者の家に泊めてもらいました。外では銃撃音が鳴っていますし、爆発音も聞こえます。
 その時の私は、もし世界に必要とされているのであれば生かされる、不必要であれば死ぬだろう、と言う気持ちでいました。

 この世の中に生まれたからには、なんらかの使命を帯びて生まれたんだろう、そしてその使命を果たすまでは、どんなひどい状況であっても死なないと言う確信がありました。なので、そこまでの恐怖は感じなかったんです。
 そして朝になって自分が寝ている部屋の天井を見ると、銃撃で穴だらけになっているんですね。もちろん外壁も銃撃の跡だらけなので、撃たれてもおかしくない状況に居たわけです。

 なんと言いますか、人間は信じる者は救われるではないですが、そんな状況に置かれると逆に冷静になってしまうんですね。だって弾に当たるときは、どうやっても当たるんですから。
 この時が一番危険だったと思います。

結婚の条件
 私は結婚していますが、私がどんな場所に行く場合も妻は付いて来てくれます。それが基本なんですね。
 私が学生の時、お付き合いの話があるとまず聞くのが「アフリカとかに一緒に行けますか?」なんです。もしそこで行けないというお返事ならばお付き合いはお断りしていました。

 そして妻は、私がそういう場所に行く時はこう言っていました。「危険な場所に行くのは良いけど、途中で片足が無くなったとかはやめてね」と、「生きるか、死ぬか、どっちかにして」と言っていました(笑)。
 もう、そういう風に遠慮なく言われると「OK! OK!」、「死ぬときは死ぬし、生きる時は生きる」という気持ちになりました。以上です。

 世界を飛び回っておられる大変お忙しい中、とても貴重で波乱にとんだお話をお聞かせ頂きまして、誠にありがとうございました。

おわり

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 図3 院長監修の医学コミック④「カラオケポリープは踊る‼」に登場した國井先生


前のお話は こちら から。

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