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2023年8月 No.342

 

JR只見線“トワイライト・トレイン”乗車レポ

秘書課 菅野 瞳


トワイライトトレインとは?
 2023年6月の第1週目は、西日本から東日本の広い範囲で大雨となり、四国から東海地方にかけては、線状降水帯が相次いで発生する天気に見舞われました。普段あまり天気予報を気にかけることがない私が、これでもかと言う程に天気予報を注視していたには理由があります。
 2023年6月3日(土)、ドキュメンタリー映画を拝見し、そして実際に列車に乗車をして現地に赴き、すっかり心奪われ再訪を決意した奥会津の地を『只見線トワイライトトレイン』と題した只見線の臨時列車が運行されました。

 このツアーは『びゅうコースター風っこ(かぜっこ)』という観光列車を使い、車両の窓枠を全て外して運行されます(図1)。

 その名の通りトワイライト(日没後などの薄明り)号は、夕方から夜にかけて只見線の会津若松駅から会津川口駅間を走ります。一部の区間では、奥会津地域の日没間際の夕景や原風景を楽しむため、室内灯を消灯して運行するサービスもありました。

図01
 図1


 このようなロマンティックでしかないイベントの取材が、私に適任か否かは別として(笑)、この時期にしか見ることが出来ない、水をたたえた水田の景色や、夕暮れ時の只見川と山間の夕景を堪能し、奥会津の魅力をお届けしたいと思います。

 ツアー当日は、前日までの大雨が嘘であるかのように、痛い位の日差しが射す、イベント日和となりました。このツアーは、只見線の始発終着駅である会津若松駅が集合場所となっている為、まずは一路JR会津若松駅へ向け車を走らせます。福島県の西部に位置する会津若松市へは、東北道から磐越道へ乗り換え、約2時間半の道程です。地元仙台よりも福島県が大好きなのでは? の疑惑が浮上しつつある私ですが、今までに会津若松駅を拝んだことはなく、これが初見となりました。

趣ありまくりの会津若松駅
 会津若松駅の正面には、昨年会津柳津エリアで温かく出迎えてくれたお馴染みの赤べこが鎮座しています(図2)。駅舎の外壁にはアンティーク調の和テイストの掛け時計が飾ってあり、何とも言えない趣があります(図3)。

図02
 図2 会津若松駅

図03
 図3 味のある時計


 駅舎の全景を写真に収めるため後退すると、カメラを構えた私の横目が誰かを捉えました。成人の背丈には足らない、思いの外小さい銅像です。この銅像は、会津と言えば? と聞かれれば3本指に入るであろう、白虎隊の隊士像です。
 白虎隊とは、日本の幕末維新における戊辰戦争の一環である会津戦争に際し、会津藩が組織した、最も若い年齢層の武家男子を集めた部隊です。白虎隊は、悲しき最期を遂げたことで知られていますが、この隊士像の凛々しい表情は、流石“会津藩士”を彷彿させます。

 そして隊士像の横には、“あいづっこ宣言”なる看板がありました。2013年に、NHKの大河ドラマで放送された“八重の桜”をご覧になられた方は、懐かしく思われることでしょう。その中で何度となく出ていた、心に響く一文。

「やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです」(図4)

 看板に記される“あいづっこ宣言”は、会津の伝統的な規範意識を踏まえ、会津に育つすべての子どもがこのような子どもに育って欲しいという切なる想いが示されており、小学生でも暗唱・実践が出来る道徳規範を指しているのだそうです。

図04
 図4


 まだ到着して間もない会津若松駅前にて、会津という町は本当に奥が深く学びが多いな~っと、ひとしきり感傷に浸りました。更に芽生えた奥会津への探求心は一旦胸にしまい、本日の一大イベントの受け付けへと向かいます。
 このツアーの主役である只見線については、3443通信No.336の特集記事の中で、乗車体験と共に紹介をしていますので、こちらもご一読下さい。

 さて、観光客だけでなく、地元民からの愛情を目一杯受けながら走り続ける只見線は、ツアー当日も大人気です。会津若松駅を14時18分に出発予定のトワイライトトレインが、14時を回った頃、線路上に姿を見せました。
 どなたかが音頭を取ったかのように、一斉に向けられるカメラ。しかも本日の主役は、平常時に走る只見線とは違い、車窓がない窓枠だけのトロッコ列車です。映画インディージョーンズを連想させる、只見線のトワイライトトレイン。その乗り心地とはいかに……そんな思いを抱きつつ、昨日までの大雨が本日まで持ち越さず良かったなと、車窓がない列車をまじまじと眺めながら痛感した私でした。

いざ出発‼
 出発の時刻となり、トワイライトトレインは会津若松駅を出発して終点の会津川口駅を目指します(図5)。
 会津若松を出発した列車は、まず途中下車先の会津宮下駅へ向かいました。走りだすとすぐ様、只見線を知りに知り尽くす代理車掌(只見線愛に溢れる地元の応援団の方)さんからのご挨拶があり、その後只見線沿線のツアーガイドが始まりました。

図05
 図5


 只見線の乗車が、昨年に続き2度目となる私は「この風景、見たなぁ~」と懐かしさを覚えることが多く、またそれに、地元の方だからこそご存知であろう、地元あるあるガイドが加わり、大変有意義な乗車となりました(図6~8)。

図06
 図6

図07
 図7

図08
 図8


 紅葉の頃だけではなく、新緑の頃には木々が生い茂り、一味違う景色を醸し出してくれる奥会津。ですが奥会津という地方は、小規模な雪崩が度々発生し、その雪崩で木が削られるため、背の高い木はないのだそうです。これには、私だけでなく乗客の皆さんが「え~っ!?」と驚きの声をあげていました。

 会津若松駅を出発して6駅目にあたる新鶴駅に差し掛かった際には、この地方で製造される白ワインが全日空のファーストクラスで採用され、一躍有名になりましたとの紹介がありました。
 また赤べこの発祥地とされる会津柳津駅付近に差し掛かった際には、この柳津駅は沿線で唯一スーパーマーケットとドラッグストアがある大変貴重な駅ですと、乗客の笑いを誘う地元民だからこその紹介がありました。

 会津あるあるのガイドを聞きながら、乗車から1時間20分が経つ頃になると途中下車駅の会津宮下駅に到着しました。宮下駅では、観光列車イベントに合わせ、マルシェ(仏語でマーケットや市場のことです)が開催されており、会津地鶏の焼き鳥や奥会津地域の特産品の販売がされていました。おやつの時間を過ぎた頃合いもあり、焼き鳥の甘だれの匂いに誘われ、長蛇の列が出来ていたことは、想像に容易いと思います(図9、10)。

図09
 図9

図10
 図10


ローカル条例に「えっ!?」
 30分の休憩の後、列車は終点会津川口駅へ向け、再出発をきります。
 車掌代行ガイドさんから、続々と繰り出されるアナウンスの中で、私が特に印象に残ったものがありました。この只見線には“只見線に手をふろう条例”というものが制定されているのだそうです。

 思わず「えっ!?」

 すぐには信じられずスマートフォンで検索を始めた方の姿がちらほら……それはそうですよ、そうなりますよ(笑)。私も新鶴の白ワインに続き、手をふろう条例を早速調べてみました。

「あっ、本当にある!!」

 2015年3月20日に、只見線沿線と近隣6市町村の柳津町・三島町・昭和村・金山町・只見町・魚沼市(新潟県)で制定された条例で、正式名称は『只見線にみんなで手をふろう条例』だと分かりました。
 条例と言えば、普通はとても堅苦しいイメージを抱きますが、この条例は、なんて温かみのあるものだろうと思ったのは、私だけでしょうか? この条例は3本則から成り立っています。

 まず第1の『目的』。
 只見線に手をふる活動を広めることにより、乗客者へおもてなしの気持ちを示し、もって地域住民の只見線に対する愛着を深め、力強く走る只見線を応援する。

 第2に『市の役割』。
 只見線に手をふる活動の普及に積極的に取り組むよう努めるものとする。

 第3に『市民の役割』。
 通勤通学時、農作業中や散歩の時などあらゆる場面で只見線に手をふるよう努めるものとする。

 恐らくですが、この条例が制定されたが故ということだけではないでしょう。只見線を見かけた方は、洗濯物を干している時でも、腰を折って農作業に勤しんでいる時にでも、只見線に乗車している私たちにも分かる程に列車が通過するまで手をふり続けてくれていました。
 会津川口駅で1時間の休憩の後、折り返し運転するトワイライトトレインは、ここからが本番です。走りだして1時間半が経過した頃、車内の照明が簡易照明に切り替わり、いよいよトワイライトを楽しむ時間となりました(図11、12)。

図11
 図11

図12
 図12


 この時期ならではの水田風景に、月明かりが反射して、風光明媚な景色が広がります。気付けば、乗客の皆さんは総立ちで、こぞってシャッターをきっていました。それもその筈……流石のガイドさんも予想していなかった、お月様からのプレゼント。なんと本日は、満月(?)です。お月様がまん丸に見えるのは「私の乱視のせいかしら?」とも思いましたが、本日の月の状態を検索してみると、満月まで99.3%とありました。どうやら明日が100%の満月になるようです。私の目は節穴ではなかった(笑)。
 数えきれないほど只見線に乗車されているであろう車掌代行ガイドさんが「本日の田園風景はこれぞ奥会津、見事ですね!」と仰っていました。きっと鼻高々だったことでしょう(笑)(図13、14)。

図13
 図13

図14
 図14


 列車が終点に到着するまで、見飽きることなくその風景に酔いしれていましたが、そんな私たちに向け、ペンライトや車のライトを使って、パッシングをする光が目に留まりました。本当に愛されているんだなぁ~只見線は……と、しみじみ思えた瞬間でした。既に手元の時計が19時を有に過ぎた頃には、日中とは打って変わり、体感温度にはなりますが、気温10℃があるか否かという程までに気温が落ちていました。車窓がなく風をきって走る列車内の私たちには、この寒さがダイレクトに応えましたが、只見線を応援する地元の方々の温かい気持ちの表れは、じんわり心に沁みました。

 いつ何時足を運んでも、新たな感動を届けてくれる奥会津。地元仙台よりも福島県好きが高じ、それに乗じて、奥会津の方に交じり、法被を着て只見線を応援する日がきてしまうかもしれません(笑)。3443通信No.338に綴りました“霧幻峡の渡し舟”も、4月の下旬より、本年度の営業を開始しています。
 次回訪問の折には、列車ではなく渡し舟に揺られに出向きたいなと思います。

 一点だけ注意があります。

 この列車は窓がないオープンスタイルのため、夜の会津の風は思った以上に冷たく、冬並みの防寒着が必要だったことです! 見渡せば、慣れているのか厚手の服装の人もちらほらとおり「もっと強く教えておいてよ!?」と、心の中で叫んだのは言うまでもありません。あと、座席も普通列車と違う無垢の木製のため、長時間の乗車にはクッションが必須だと思われます(図15)。

図15
 図15


関連サイト
 https://okuaizu.design/(奥会津ミュージアム)

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