3443通信3443 News

2024年4月 No.350

 

震災遺構・大川小学校を照らす
「大川竹あかり2024」鑑賞レポ

秘書課 菅野 瞳

図01
図1


 2011年3月11日、未曾有の被害をもたらした東日本大震災から、今年で13年目を迎えます。昨年に続き私は、今回で第3回目の開催となる『大川竹あかり』(図1)の取材のため、石巻市が所蔵する震災遺構大川小学校に出向きました。
 仙台から三陸自動車道を駆け抜けること約1時間。かさ上げで舗装された道をひた走ると、普段はあまり街灯がないエリアではありますが、この日はちょっと離れた場所からでも、現地には大勢の人が集まっているだろうことが確認できました。

 現地に到着し、まずは震災遺構大川小学校の校舎の献花台にお花を手向け、手を合わせます。1年ぶりとなるこの光景を前にし、昨年の取材ではここに足を運ばなければ知り得なかった発見が、沢山あったことを思い出しました。献花台にも竹あかりの所々にも溢れている向日葵。昨年の私がそうであったように、初めていらした方は恐らく、「……なぜここに、しかもこの時期に向日葵?」(図2)と思われることでしょう。

 詳しくは、3443通信 No.339 に認めていますので、ご一読頂ければと思います。

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 図2 竹あかりと向日葵


震災を忘れないで
 少し余談になりますが、私は先日、2月26日(月)の河北新報朝刊に、震災の日(2011年3月11日)以降に生まれた宮城県内の小学6年生のお子さんに実施したアンケートに於いて、6人に1人が東日本大震災の発生年月日を正確に書けず……という認知度調査の記事を目にしました。
 調査の方法は、内陸部と沿岸部の地域バランスを考慮し、県内の公立小学校21校計770人(内陸434人、沿岸336人)から回答を得たのだそうです。
 記述式で求めた震災の発生年月日だけではなく、震災の発生時刻・震災発生の曜日なども、こちらは選択形式で尋ねたそうですが……。

 この記事を目にした時、私は言葉では何と言い表せば良いのか……切なく空しく、何故分からないのだろう? 何故答えられないのだろう? という虚脱感に襲われました。三陸沿岸部に何度も出向き、被災者の方は震災を風化させたくない一心で、震災の伝承に継承に物凄いパワーを注いでいらっしゃることを私は知っています。それが、このようなかたちで、震災の記憶が十分に浸透していない可能性を指摘されてしまうと、悔しさが込み上げました。

 このような新聞記事を目の当たりにした矢先での、大川竹あかりの取材……今年はこの行事がもっともっと周知され、多くの方にご参加頂けるものだろうか、と懸念を抱いていましたが、嬉しいことに、私のこの心配は杞憂に終わりました。大勢の人が集う竹あかりの会場内で、昨年には見かけることがなかった光景が目に入ってきました。

 それは、語り部さんや教員に引率され、真剣な眼差しで震災時の話に耳を傾ける、大学生の姿です。駐車場には、県外から足を運んだと思われるマイクロバスが、一角を覆いつくすように停まっています。そんな様子を暫し見つめていた私は、震災を知ろう、学ぼうとしてくれる生徒さんのその姿勢に、ただただ感服しました。この場を訪れてくれた生徒さんたちが、何を想い何を感じ取ったかは分かりませんが、被災された方々が、一番恐れる震災の風化に、彼らが一役買ってくれることを、願わずにはいられません。

 さて、私が一人感動を覚えている中、会場中央に設置された竹灯篭は、今か今かと点灯の時を待っています。多くの来場者が、受け取った向日葵の花を竹灯篭に飾り、竹灯篭が益々色味を増していきます。時刻が17時30分を刻んだところで、いよいよ2024年竹あかり点灯式が始まりました(図3)。

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 図3 点灯を待つ竹あかり


 石巻市長、そして竹あかり実行委員長の開会の挨拶を終え、皆が心待ちにする竹あかり点灯の時です。バックミュージックには、大川小学校の生徒さんが何度となく歌ったであろう校歌が流れ、校舎の外壁を利用したプロジェクタースクリーンには、生徒さんたちの思い出の映像が映し出されました(図4)。
 映像から聞こえてくるキャッキャッと騒ぐお子さんたちの声は、甲高く響き、そして空高くまで届き「あれは私の声だよ!」「あれは僕だよ!」などとはしゃいでいるだろう子どもたちの光景が、目に浮かんでくるようでした。

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 図4 かつては当たり前のように響いていた、子どもたちの声


 この日は、昨年に比べ気温が高く、一日中お天道様が見えていたため竹あかりの点灯時間である17時30分を過ぎてもまだ明るさが残っていましたが、丁寧に丁寧に彫り上げられた竹あかりは、夕陽に負けないまばゆい光を放っていました(図5、6)。

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 図5 優しい灯りに包まれる校舎

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 図6 安寧を願う想いが込められています


 徐々に日が西へ傾き、辺りが暗くなり始めると、竹あかりは尚一層輝きを増します。震災当時の全校児童数と同じ、108本の竹あかり。今年は、この竹あかりの制作に、県内外から500人以上の方がお手伝いにいらしたのだそうです。
 1月28日(日)に、竹灯篭の制作に使う竹の切り出し作業が行われ、その一週間後から竹灯篭制作が始まり、全5回のワークショップを経て完成に至りました。是非とも翌年の竹あかり行事には、竹灯篭の制作段階からお邪魔をさせていただき、微力ながらお手伝いが出来ればなと思っています。自他ともに認める、右に出る者がいない不器用さを持つ私ではありますが、一彫り一彫り、ご遺族の想いを噛みしめながら、また大好きな小学校で、命を落とすことになってしまったお子さんたちに心を寄せて、竹灯篭の制作に取り組みたいと思います。

 この竹あかり行事を通じ、命の大切さを伝え、そして災害への備えを未来に繋ぐために、防災の必需性を発信し続けていただきたいと思います。


関連資料
 冊子「小さな命の意味を考える」(PDF)

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