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3443通信 No.365

 

癒しの楽園・南インドツアーレポ1

院長 三好 彰


 長引く花粉症シーズンを乗り越えた2025年5月、昨年の北インドに引き続いて、今年は南インドを周遊するツアーに参加して来ました。
 昨年の北インドのレポートは3443通信 No.352をご覧下さい。

 さて、今回のツアーは図1の地図にある町を巡りました。
 成田発のフライトからシンガポールを経由して、インド東側に広がるベンガル湾に面するチェンナイへと赴きます。
 そこから時計回りに南下しながらマドゥライ、カーニャクマリ、アレッピ、コチの南インドの各都市を巡り、コチから帰国便に乗るという大まかな流れになっています。

図01 地図
 図1 訪れた町の地図


【1日目】5月17日(土)
 成田発のシンガポール航空637便に登場し、ツアー一行はまず経由地であるシンガポールを目指します(図2、3)。
 シンガポールまでは約6時間のフライト。
 そこから同社528便へと乗り換えてチェンナイへと向かいます。

図02
 図2 機内では優雅に映画鑑賞

図03
 図3 アジアの玄関口シンガポール


 途中、機内で提供されたのは『サテ』(図4)と呼ばれる、東南アジアではポピュラーな串焼き料理と、メインには鶏もも肉のローストとクリームフィットチーネ(図5)が並びました。

図04
 図4 シンガポール風チキンサテ


 メニューには『シンガポール風チキンサテ』とあり、その上には玉ねぎ、キュウリ、スパイシーピーナッツソースが掛けられています。

図05
 図5 鶏ローストがのせられたパスタ料理


 鶏ローストは、ハーブとレモンの皮でマリネされており、香り良いトリュフを使ったラグーソースと、ほうれん草とマッシュルームのフィットチーネが添えられていました。

 東南アジアの玄関口の一つであるシンガポール空港には、多くの航空会社の旅客機が離発着しており、ターミナルには派手なペイントの施されたエミレーツ航空(アラブ)の巨大機A-380(図6)の姿がありました。

図06
 図6 カラフルな塗装が目を引くエミレーツ航空のA-380


 多くの人で賑わうターミナルビル(図7)のショップを眺めながら乗り換え待ちをしつつ、予定通りの時刻にチェンナイへと向かいました(図8、9)。

図07
 図7 シンガポール空港のターミナル

図08
 図8 再び空の旅

図09
 図9 チェンナイ到着は深夜です


インド文化の宝庫“チェンナイ”
 ベンガル湾をのぞむインド南東沿岸にあるチェンナイは、古くはマドラスと呼ばれた港湾都市であり、ヨーロッパとアジアを結ぶ交易路の重要な中継地でした。イギリス東インド会社発足の地であり、ここを基点に南インド全体を掌握したという歴史を持っています。
 1996年、植民地時代の終わりを迎えたことを契機にして名称をチェンナイに改めました。いまではインド四大都市の一つにして、人口468万人を擁する南インド最大の都市と言われています。
 私たちのフライト便のチェンナイ到着は深夜のため、初日はそのまま就寝して翌日から本格的なツアーが始まります。

ヒンドゥー教7大聖地の一つ“カーンチープラム”
 チェンナイから南西に約80キロ。専用バス(図10)に乗って広々とした田園地帯を超えた先にある町がカーンチープラムです。
 町の規模は小さく、東西の端から端までは4キロほどしかありません。
 その街中には、古代王朝時代に立てられた200を超える寺院が残されており、ヒンドゥー教の神であるシヴァ神やヴィシュヌ神を祀る僧院にはいまも多くの巡礼者たちが訪れています。
 また、特産品である高品質な絹製品は人気が高く、踊り子の衣装にも採用されているとか。

図10
 図10 専用バスでチェンナイ市内へ


町内最大のエーカンバラナータル寺院
 インドと言えば、世界三大宗教の一つであり世界最古の宗教の一つでもあるヒンドゥー教の信徒が多い国です。
 当然、町のいたるところには独特の宗教建築物が散見され、貴重な遺跡観光の名所として開放されています。

 その中でもカーンチープラム最大と言われるのがエーカンバラナータル寺院です(図11)。南インドでも最も高い建物の一つとされる高さ60メートルにも及ぶゴープラムと呼ばれる塔門(図12)は、改修工事のため足場が組まれていましたものの、その足場の隙間からのぞく細かな彫刻とシヴァ神(図13)や、像の顔と人の体を持ったガネーシャ神の彫像(図14)が見受けられました。また庭園には、シヴァ神が乗る白い牛ナンディー(図15)が安置された社がありました。

図11
 図11 エーカンバラナータル寺院

図12
 図12 南インド最大の塔門は改修中でした

図13
 図13 シヴァ神が彫られた壁

図14
 図14 こちらはガネーシャ(象)

図15
 図15 シヴァ神の乗る白い牛ナンディー


 堂内に入ると、そこには重厚な石造りの石柱がいくつも並んでおり、超重量の天井を支えているのが分かります。その石柱の間には、いくつかの派手な色彩の彫像が置かれていました(図16~22)。

図16
 図16 黄金色に輝く塔門

図17
 図17 重厚な石造通路

図18
 図18 それぞれに細かい彫刻が彫られています

図19
 図19 ヒンドゥー教では牛は神聖な生き物とされています

図20
 図20 お祭りで使われる”山車”

図21
 図21 様々な神の姿を模しています

図22
 図22 恐らくお祭りに使う”シヴァ神”とその妻”パールバティ”の衣装でしょうか


カイラーサナータ寺院
 次いで訪れたのは、エーカンバラナータル寺院の南西にあるカイラーサナータ寺院です(図23)。この寺院は8世紀初頭のパッラヴァ朝時代に造られ、この町で最も美しい寺院のひとつとして知られています。

図23
 図23 石を掘って作られた寺院


 僧が瞑想するための50以上の小祠堂が、まるで寺院の外壁のごとく並んでおり、その中心にある本堂の周囲もまた同様に、小祠堂によって囲まれているのが特徴的です(図24、25)。

図25
 図24 小さな祀同が連なって壁を成しています

図26
 図25 どれだけの時間をかけて作られたのでしょう


 その砂岩の壁面にはインドの神を表わした彫像や、創建したパッラヴァ王のシンボルでもあるライオン像がこれでもかと彫られています(図26)。
 この寺院もまたシヴァ神を祀っているため、シヴァ神の乗る白い牛の石像もあり、観光客の記念撮影スポットになっていました(図27、28)

図26
 図26 パッラヴァ王の彫刻

図27
 図27 白い牛ナンディーと記念撮影する家族連れ

図28
 図28 ナンディーの後ろ姿


 また、寺院の名前にあるカイラーサとは、シヴァ神の住むとされるチベット自治区西方のカイラス山(標高6656メートル|図29、30)のことを指しており、チベット仏教やボン教などの各宗教の聖地とされる山です。いまだ人類が登頂したことのない未登頂峰の一つであり、敬虔な巡礼者はこの山を一目見ようと、五体投地という地面に身を投げ出す独特な祈りをしながらカイラス山を目指します。

図29
 図29 カイラス山

図30
 図30 まさに地の果てにあるカイラス山


ベンガル湾を臨むリゾート地マハーバリプラム
 カーンチープラムから東にあるベンガル湾沿いの町マハーバリプラムは、この地方では有名なリゾート地であり、かつてこの一帯に興ったパッラヴァ王朝の首都があった町です。
 そのため、町のあちこちにパッラヴァ朝時代に造られたヒンドゥー建築が散見され、世界文化遺産である海岸寺院や一つの花崗岩から削り出された石造寺院ファイブ・ラタなどの見どころが詰まっています。

世界遺産・花崗岩を削りだしたファイブ・ラタ
 五つのこじんまりとした寺院に見えるこのファイブ・ラタですが、実はひと固まりの花崗岩から掘り出された巨大な彫刻です(図29、30)。

図29
 図29 石山を削って作られたファイブ・ラタ

図30
 図30 とても削り出しとは思えない荘厳さです


 ラタとは、現地の言葉で岩塊から掘り出した岩石寺院を指す言葉なのだそうです。
 その名が示すように、良く見ると構造物のどれもが繋ぎ目などはなく、一体構造であることが分かります。
 これだけの規模の施設を手掘りで作り出す労力は、まったく計り知れません。

巨大な岸壁彫刻アルジュナの苦行
 ファイブ・ラタから北の市街へと移ると、小高い岩山が見えてきます。そこには数多くの古い遺跡が残されており、その中でも特に異様を誇るのがアルジュナの苦行と呼ばれる岩山に掘られた世界最大級のリレーフです(図31、32)。

図31
 図31 こちらも岩山を掘って作られたアルジュナの苦行

図32
 図32 数百体にもおよぶ非常に細かい彫刻


 この遺跡は、およそ1300年以上も前に作られたと言われています。そこに描かれた真の意味はすでに時の彼方に忘れ去られてしまい、その様子からインドの叙事詩『マハーバーラタ』に描かれたアルジュナの苦行、もしくは女神ガンガーの降下の場面ではないかと考えられているそうです。

 その迫力はまさに圧巻。

 幅29メートル、高さ13メートルというサイズの岩の彫刻に数十もの神々や動物のリレーフが彫られています。

 これはパーンドゥ家の王子アルジュナが、シヴァ神の加護を得るべく片足立ちの苦行をしている姿と言われています。
 また、もう一つのシーンと考えられているガンガーと呼ばれるガンジス川の女神が、この世界に降りてきたことを示すように、岸壁の中央
にある亀裂が天界から降り落ちるガンジス川ではないかと言われているそうです(図33)。

図33
 図33 中央付近の深い溝が天から降るガンジス川?


 いずれにしても、その意味が失われるほど太古の遺跡を、直接目で見れることは非常に貴重な機会であり、このような神話を作り上げた人たちの叡智と苦労が刻まれているように感じました。

 それらと繋がるようにして、すぐ脇にはパンチャパーンダパ・マンダパ窟と呼ばれる石造寺院(図34、35)があります。
 これらの建造物の面白いところが、長い年月を経る中で建造技術が変化していることを示している点です。
 岩山を掘った古代の石窟寺院から石に彫刻を設けた石彫寺院に発展し、中世時代の石造寺院へと移り変わっていく様子が見て取れました。

図34
 図34 アルジュナの苦行のすぐ隣にある石造寺院

図35
 図35


落ちそうで落ちないバターボール
 アルジュナの苦行から北に徒歩数分の場所には、岩の緩斜面が広がっています。その斜面の中腹にはなにやら巨大な丸い岩がポツネンと置かれており、多くの観光客がその岩を囲むように憩いの時間を過ごしています。
 これはクリシュナのバターボール(図36)と呼ばれる巨岩で、一体いつ、どうしてこうなったのかは分かっていません。古くはこの地に興ったパッラヴァ朝時代に像を使って動かそうと試みたそうですが、岩はピクリとも動かなかったのだとか。

図36
 図36 転がりそうで転がらないクリシュナのバターボール


 名前の由来は、ヒンドゥー教の神クリシュナが好物としていたバターボールに似ていることから名づけられたそうです。
 斜面上側に回ってみると、岩はナイフで切られたかのようにスッパリと割れています。

 このような岩は、実は日本にも存在しています。
 例えば高知県高知市にある受験祈願で有名な『ゴトゴト石』や、三重県菰野町(こもの)の二つの岩の上に挟まった『地蔵岩』などが代表的な奇岩と言われています。

ゴトゴト石:https://www.city.kochi.kochi.jp/site/kanko/gotogotoishi.html
地蔵岩:https://www.gozaisho.co.jp/highlight/rocks/

世界遺産・海岸寺院
 その名が示す通り、海に突き出た波打ち際に立てられたインド最古の寺院の一つがこの海岸寺院(図38)です。
 その始まりは8世紀初頭にまで遡りますが、かつては同じような寺院が7つあったと言われていましたが、波風の浸食によって朽ちてしまい現存するのはこの寺院ひとつだけとなっています。

図37
 図38 海岸寺院


 海岸寺院は三つの建物からなり、それぞれがヒンドゥー教の神々、シヴァ神、ヴィシュヌ神が祀られています。
 その周囲の緑地(図39)には、インド原産とされるマンゴーの木(図40)が植えられており、これらのマンゴーは子宝に恵まれると信じられています。

図38
 図39 広々とした緑地

図39
 図39 インド原産といわれるマンゴーの木


 次回は、さらに南下して古代から続く都市マドゥライを目指します。

つづく

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