3443通信 No.366
ラジオ3443通信「ラサ市と大昭寺」
ラジオ3443通信は、2010年から毎週火曜10:20~fmいずみ797「be A-live」内で放送されたラジオ番組です。
ここでは2012年10月30日OAされた、学校健診にまつわる話題をご紹介いたします。
92 ラサ市と大昭寺
An.
三好先生、前回は雲南省のアレルギー調査のお話、そしてチベットのバター茶の珍しいお話をありがとうございました。
本日のお話は、なんでしょう?
きっと今日も、わくわくするようなお話が、待ってますよね!
Dr.
前回は、チベットのバター茶のお話をしたんですけれど、チベットにお茶が入ってきたのは、チベットという国の成立した時期に重なるんです。
An.
先生、それはかなり古いお話じゃないんですか?
Dr.
7世紀初めに、チベット最初の統一王朝を作ったソンツェン・ガンポという王様が、ラサ市を首都に選びます。
この王様には、おきさきが二人いたんですけれど、一人はネパールから嫁いだティツゥン王妃で、もう一人が唐からお嫁に来た文成公主です。文成公主は唐の皇族の出身ですから、かなり身分の高い女性だったみたいです。
An.
唐って、すごい大国だったような記憶があるんですけど。チベットの王様に皇族が嫁ぐんですから、当時のチベットもそれに劣らない大きな国だったんでしょうか。
Dr.
さすが、1を聞いて10を知る江澤さん。その当時、ユーラシア大陸の東半分は、唐・ウィグル・チベットの3大帝国が、覇を競っていた歴史があるんです。
An.
そういう政治的勢力関係のバランスから、文成公主はチベットにお嫁に来たんですね。
Dr.
文成公主は、ヤルツァンポ川の湿地帯だったラサの街を埋め立て、大昭寺というお寺を建設しました。この大昭寺はチベット名をジョカンと称し、チベット仏教の中心地です(図1)。

図1 大昭寺の正面で五体投地をする巡礼者たち
An.
チベットの中心地って、ダライ・ラマの住んでいたポタラ宮(図2)じゃなかったんですか?
Dr.
ポタラ宮は政治的な中心地であって、信仰の中心はこの大昭寺だったんです。
で、湿地帯だったラサの地を埋め立てするのに、ヤギを使って土砂を運んだものですから、ヤギを意味する「ラ」という言葉と、土地を意味している「サ」という言葉が合わさって、ラサ市になったという伝説もあるんです。
An.
まぁ、面白い。
Dr.
以前、江澤さんに『五体投地』(図3)という歩き方を、ご説明したことがあるんですけど。

図2 ダライラマの冬の宮殿であるポタラ宮

図3 八郭街(バルコル)を周りながら五体投地する巡礼者
An.
先生、江澤はしっかり憶えています。
あの、尺取虫ウォークのことですよね!
Dr.
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』って映画を見ると、出てきます。
全身で先ず前方へ向かって、投げるようにバタッと倒れます。手をのばした状態で。
An.
歩くんじゃなくって、倒れるんですよね。
Dr.
それからゆっくりと上体を起こし、手を合わせて合掌し、全身で起き上がります。
それから、もう1回バタッと前に倒れて、上体を起こして合掌して全身を起こして。
An.
尺取虫ウォークで、少しずつ前に進むんでしたよね。
Dr.
そのスタイルで何万回もほふく前進して、自分の故郷からラサ市の大昭寺つまりジョカンまで、たどり着くんです。
An.
大昭寺がやはり、チベット仏教の最大の聖地なんですね。
現生つまりこの一生で苦行を重ねると、来世でより良い生まれ変わりが待っているんでしょうね。
Dr.
チベット仏教は、弥勒菩薩を信じる宗教ですから。
An.
弥勒菩薩は、より良い来世を約束してくれる仏様ですよね。
Dr.
チベット仏教では、五十六億七千万年後に現われて、衆生を救う仏様です。
ですから、チベットにある弥勒菩薩像はすべて、中腰のままなんです。
An.
それは?
Dr.
スタンバイ状態にあって、ですね。今すぐにでも、迷える民を救う準備OKという意味なんです。
An.
それなら、迷える江澤も救って欲しいですね。
Dr.
江澤さん、いかがですか? 私と一緒に大昭寺まで、五体投地の旅などは。
大昭寺に到着した後は、お寺の周辺の商店街をウィンドウ・ショッピングとしゃれようじゃありませんか!
An.
先生、たしか大昭寺の周辺の商店街は、『八廓街(はっかくがい)』という有名な仏具商店の街でしたよね?
Dr.
チベット語で『バルコル』と呼ばれるこの街は、散策の仕方が決まってましてね。
An.
どんな約束があるんですか?
Dr.
街を歩く人々は、『コルラ』すると言って、必ず右回りに街を歩くんです。
五体投地でバルコルを進む場合も同様で、大昭寺の周辺を右回りに尺取虫ウォークするんです。
An.
たしか『茶馬古道』という、古い交易ルートを通じて、バルコルで売っているような仏具と、雲南のお茶や塩の売り買いがされていたんですよね。
Dr.
お話がソンツェン・ガンポに戻るんですけど、ね。
西暦642年に、文成公主がラサに来たとき、唐の国からお茶を持ち込んだのが、チベットにおける飲茶(やむちゃ)の習慣の始まりなんです。
An.
お茶って、歴史が長いんですネェ。
Dr.
お茶自体の薬効、つまり薬品としての作用が発見されたのは、4000年も前のことだそうです。古代中国の伝説の中に出てくる、神農(しんのう)という人物が、毒消しとしてのお茶の働きを見いだしたと言われます。
An.
それから4000年間、飲まれ続けているんですもの、ねぇ。
Dr.
お茶のお話になると、またまた長くなりますので、一旦昆明のお話に戻ります。
An.
先生の調査旅行のお話、内容が豊富でとても楽しみです。
Dr.
では、どうぞ次回のOAを今から楽しみにしていてください。