3443通信 No.369
最北の下北・津軽2大半島ツアーレポ 2
院長 三好 彰
【2日目】8月13日(水)
昨日に引き続き青空が広がる朝を迎えました(図1)。
本日は、本ツアーのもう一つの訪問地である下北半島方面へ赴きます……が、その前に宿泊地である五所川原市内の名所を訪れました。

図1 ホテルの朝
文豪・太宰治記念館『斜陽館』
日本の文豪といえば、夏目漱石、芥川龍之介、宮澤賢治……と、幾人もの名前が浮かんでくると思います。
その中でも特に異彩を放っていたのが太宰治です。
青森県北津軽(現在の五所川原市)の大地主・津島家に生まれ、小・中学校で優秀な成績を修めた“秀才”であったと言われています。
太宰治の筆名で書かれたデビュー作は『列車』ですが、執筆活動自体は高校生の頃からのもので、『最後の太閤』という作品を書いており、友人との同人誌である『蜃気楼』という雑誌も発刊していました。
太宰治の名前が発表されたのは1933年からで、彼の代表作である『斜陽』『走れメロス』『人間失格』といった名作を世に生み出していた一方、私生活の乱れは周囲の友人たちに諫められることも多々あったそうです。
そんな太宰治の記念館である『斜陽館』(図2)は、父・津島源右衛門の1907年に建てた蔵などがベースになっています。

図2 斜陽館
約680坪の敷地には、日本三大美林である青森ヒバ(図3)をふんだんに使った豪邸や米蔵が建てられており、東北豪商としての津島家を知る資料にもなっています。建築費は約4万円。現代の価値に換算すると大体8億円*ほどに上ると言われています。
*当時の給与価値からの試算

図3 青森ひば
その内部は、十人以上の家族が暮らすには十分すぎる広さと間取りがあり、1階に11室、2階に8室、3つの蔵があります(図4~8)。

図4 建物内部

図5 懐かしい囲炉裏

図6 金襖の日本間

図7

図8
泉水をひいた日本庭園(図9、10)もまたきれいに整備され、季節によって色づく自然の風景を堪能できるようになっています。
蔵を再利用した展示室には、太宰が着用していたマントや羽織袴、執筆した初版本や、貴重な直筆原稿など約300点の資料が納められています(図11)。
文豪の世界の一端に触れた私たちは、その豪華な建物を後にします。

図9 庭

図10 二階から見下ろす庭
観光物産館で一休み
外は相変わらずのカンカン照りで、空調の効いた室内から一気に暑さが体全体を包んできます。
斜陽館のすぐ向かいには、金木観光物産館というお土産などを扱うお店があり、その軒下に小さな屋台(図12)を発見しました。よく見てみると『津軽のりんごアイス』という看板が目に飛び込んできます。これは……買うしかない!

図12 アイスの屋台を発見
ご店主に声掛けし、思わずりんごアイスを買い求めました(図13)。
ヒヤっとした冷たさと、りんご独特の酸味と甘みが口いっぱいに広がります(図14)。

図13 あまりに暑かったのでアイスを…

図14 冷たくて美味しい!
また、物産館の一角には全国的にも有名なねぶた(もしくは、ねぷた)祭りに用いられる灯篭人形(図15、16)が飾られていました。これらの灯篭人形を乗せた巨大なねぶた(図17、18)を見ようと、シーズンには県内外から多くの観光客が集まってきます。

図15 図16

図17、18 こちらはホテルにあったねぶた祭り用の山車と神輿
津軽三味線会館
続いて訪れたのは、津軽三味線の発祥を記録する津軽三味線会館(図19)です。

図19 津軽三味線会館の入口
楽器の名が示すように、津軽三味線の発祥は五所川原市にあります。その元祖は神原の仁太坊(秋元 仁太郎。図20)という弾き手で、あの独特の叩いて鳴らす奏法を生み出し、そこから津軽三味線の基礎が築かれていきました。
そして、仁太坊に弟子入りした白川軍八郎(図21)という当時9歳の少年がいました。
軍八郎は、真綿が水を吸うように仁太坊の三味線の技術を吸収し、14歳になる頃には仁太坊の奏法のほぼすべてを習得。数百年に一人の天才と言わしめたそうです。

図20 三味線奏者の元祖・秋元 仁太郎

図21 その弟子の白川 軍八郎
彼の演奏は、その時代に普及し始めた蓄音機によって残されており、テイチク、リーガル、ビクターなどの複数レーベルからSP盤が発売されました。
三味線という楽器は、もともと中東に端を発する弦楽器がその大本と言われていますが、シルクロードを通じて東方へと伝わり、中国で三弦(さんげん)と呼ばれる三本弦の楽器が生まれ、それらが沖縄の三線(さんしん)や、江戸時代中期の三味線へと派生したと言われています。
館内では、そうした三味線のルーツや歴史、三味線を使った郷土芸能についての展示が見られます(図22~28)。

図22 多様な津軽三味線

図23 津軽三味線の構造

図24 その時代の様相

図25 版画

図26 こんなところにもねぶたが

図27 図28
また、同館のホールでは津軽三味線奏者による演奏会が定時的に開催されています。
今回演奏いただく小島伸陽さん(図29)は、第11回全日本津軽三味線シニア大会の優勝者という実力の持ち主で、その熟練の技によって三味線独特の力強い弦音が軽快なリズムを刻んでいきます。そして約20分ほどの演奏はあっという間に終わり、紙吹雪と弦の残響が消える間もなく大きな拍手が上がりました(図30~32)。

図29 演奏者のCD

図30 軽快な音色を奏でます

図31 紙吹雪も舞い踊ります

図32 拍手!!
下北半島を北上し、恐山へ
津軽三味線会館を後にした私たちは、陸奥湾に飛び出た夏泊半島(なつどまり)を東に進みます。遠景に昨日宿泊したホテルのある岩木山や、これから向かう恐山の手前にそびえる釜臥山を望みながら、バスは順調に進んでいきます(図33~36)。
反時計回りにグルっと下北半島を北上し、むつ市街を横目しながら山岳地帯を上っていくと、周囲をカルデラに囲まれた宇曽利湖(うそりこ)の光景が広がっていきます。

図33 岩木山

図34 浅虫から見る岩木山

図35 浅虫温泉から

図36 釜臥山(かまぶせやま)
不思議の湖・宇曽利湖(うそりこ)
この宇曽利湖(図37)は、活火山である恐山の影響を受けて湖中に硫化水素が湧いているなどの理由から強い酸性(お酢とほぼ同じpH値3.2~3.8)を有しており、湖水内に棲める生物が少なく透明度の高い湖となっています(透明度が日本第8位の湖)。

図37 宇曽利湖(うそりこ)
そんな環境にも関わらず、この湖には一種類だけ生息する魚類が存在します。
それは日本全国に生息するコイ科のウグイ(ハヤ)です。本来であれば到底棲息が困難である強酸性の水質であるにも関わらず、この宇曽利湖のウグイだけが適応して生き残っているのだそうで、世界一酸に強いウグイとして有名なのだそうです。
ちなみに、他の地域から連れてきたウグイは2時間以内に死んでしまうのだとか……。
三途の川の太鼓橋
美しくも恐ろしい宇曽利湖の景色を眺めていると、一際赤い橋が見えました。
これこそ、あの世とこの世の境目である三途の川、そこにかかる太鼓橋(図38)です。ですが、普段は人が渡ることのないよう通行止めになっています。安心ですね(実際は老朽化)。

図38 三途の川と太鼓橋
日本三大霊場・恐山
日本三大霊場の一つである恐山は、この地方では古くから「人は死ねば、お山(恐山)さ行ぐ」と伝えられており、この地にくれば死んだ人に会えると考えられていました。その後、この地を訪れた仏僧が、恐山の奇観をまるで死後の世界のようだと話したことから、参拝者がこの地を訪れるようになったそうです。
宇曽利湖の湖畔にある恐山菩提寺は曹洞宗本坊円通寺が管理している寺院で、ご本尊は釈迦如来をお祀りしています。
恐山が開かれたのは862年(貞観4年)、天台宗の慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)が開山とされていますが、戦乱や火災などで多くの文書が失われており、伝わっているのは江戸時代以降のものしか残っていないそうです。
ちなみに恐山という単独の峰は存在せず、一帯を囲む八峰の外輪山と最高峰である臥施山(878メートル)を含めたエリアの総称を指しています。
奥の院と六地蔵
境内を案内頂いたのは、代表ガイドの村口明治さま(図39)です。
駐車場から境内に入る総門の手前には、大きな説明看板(図40、41)と六体のお地蔵さま(図42)が並んでいます。
仏教による六つの世界観(六道)である地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上にはそれぞれ苦しむ衆生(しゅじょう。生命を指す用語)がおり、それらを慈悲によって救うのがこの六地蔵と言われています。

図39 代表ガイドの村口 明治さま

図40 奥の院

図41

図42 六地蔵
本尊・釈迦如来を祀る本堂
総門を抜けた左手にある赤い屋根の建物が、曹洞宗の本尊である釈迦如来を祀る本堂(図43)です。別名を菩薩堂とも呼ばれ、亡くなられた方の遺影や遺品などが多く納められています。
この建物は本来は武術道場だったとのことで、戦後に移築されたとのこと。

図43 本堂
地蔵菩薩を奉安する地蔵殿
参道の正面奥にあるのが、霊場恐山の本尊である地蔵菩薩像を祀る地蔵殿(図44~46)です。堂内には約2メートルの地蔵像がありますが、これは開山した円仁(えんにん)が彫刻したと言い伝えられているそうです。

図44 地蔵殿

図45

図46
地獄めぐり……
境内の西裏には敷地の何倍もの広さの岩場が広がっています(図47)。火山の噴石が辺り一帯に転がる岩場は、まるで地獄の景色のように見えたことから地獄めぐりとも呼ばれています。
ほのかに硫黄の匂いが漂い、物静かな景色を見ていると、本当にここが彼岸のように思えてきます。

図47
子どもを供養する太師堂
その岩場の中を進んでいくと、木造の祠が見えてきます。
こちらは円仁をお祀りする大師堂(図48、49)で、その周辺にはいくつもの赤いか風車(図50)が風を受けてクルクルと回っています。これはなくなった子供を供養するためのお花代わりに供えられたものだそうです。

図48

図49

図50
賽の河原の八角堂
岩場を西に進んでいくと、三途の川のほとりにあると言われる賽の河原があります。
ここでは、親より先に亡くなった子供たちが功徳を積むための石積みをする場所と言われています。そうした亡くなった家族の遺品を納めているのがこちらの八角堂(図51、52)です。

図51 八角堂

図52 その内部
子どもの魂にちなんだ場所のためか、すぐ傍には子どもを見守る仏様である水子地蔵尊(図53、54)や、健康長寿を願う延命地蔵尊(図55)が置かれています。

図53

図54

図55
心を洗う極楽浜
殺風景な岩場を抜けると、宇曽利湖を一望する極楽浜に辿り着きます(図56)。
白い砂浜と、その先に広がる凪いだ湖面を見ると、どこか心が洗われたような気持ちにさせられます。

図56 澄みわたる宇曽利湖
その浜の中央に、一柱の地蔵菩薩(図57)が祀られています。
これは2011年3月11日におきた東日本大震災の犠牲者を供養するため、発災の翌年である2012年に建立され、毎年この地で供養祭が執り行われています。供養塔の背面には数十個もの手形が彫られており、これを故人の手に見立てて合わせられるように……との願いが込められています。

図57 東日本大震災の犠牲者の供養塔
また、そのすぐ脇には、高知生まれの文人にして十和田湖の景観に惚れこんだ大町桂月(おおまちけいげつ)による宇曽利湖を読んだ歌が残されています。
「心と見ゆる湖を 囲める峰も 蓮華なりけり」(図58)
美しい宇曽利湖とその周囲を囲む外輪山を、仏教における清らかな蓮華の花に例えた名句ですね。

図58
心を綺麗に洗い終えたツアー一行は、宿泊するむつ市内のむつグランドホテルに向かいます。
次回は、下北半島の西端にある仏ヶ浦に参ります。
つづく
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