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3443通信 No.373

 

アレルギー疫学調査に参加されていた幸野健先生のエッセイをご紹介させて頂きます。

 

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エッセイ『ユーラシア・アトピー紀行~チベット篇~』

市立吹田市民病院皮膚科(当時)
幸野 健


(以下、2001年10月25日~11月1日の中国アレルギー調査日記より抜粋)

着くなり高山病とは
 西安から空路ラサに到着。空港に降り立ったとたんに頭がクラクラした。「風邪かな?」と思ったら、今度は息苦しくなった。「ここは標高3000m以上なんだ!」インド領・西チベット(ラダック)に旅したことがあるが25年も前の話。着くなり高山病とはなさけない。寄る年波には勝てなかった。

チベット調査の特命来たる
 私は、青木敏之先生(前・羽曳野病院副院長、大阪市・あおきクリニック院長)の下で疫学を勉強している。先生からの最初の特命指令は「三好先生の調査団とチベットへ」だった。
 三好彰先生(仙台市・三好耳鼻咽喉科クリニック院長)は日中合同の研究機関、南京医大、国際鼻アレルギーセンター教授を兼任され、10年以上も中国各地でアレルギーの疫学調査をしておられる。中国におけるスギ花粉症の存在と拡大の予測など不滅の業績を上げてこられた(耳鼻と臨床, 45(Suppl.2),1999参照)。

ラサ市内に到着
 空ひたすら青く、河ひたすら碧く、切り立つ岩山の渓谷をバスにゴトゴト揺られること2時間。市内に到着した。西洋人観光客も多く近代化が著しい。ホテルには「酸素ボンベの必要な方はフロントまで」とあった。湯は一定時間しか出ない。高地のラサでは水も燃料も、そしてわれわれ低地人には酸素も貴重なのだ。
 かつてダライ・ラマが観音様の化身として君臨したポタラ(補陀落)宮殿前で写真を撮った(図1)。

写真3
 図1 壮麗なポタラ宮殿の前の一行
 


 今回の調査団は三好先生以下、穴澤鉄雄(北陸新聞)、殷敏(南京医大・耳鼻科)、上田伸男(宇都宮大・教育)、植田美津江(愛知診断技術振興財団・医療医科学研)、高岡正敏(埼玉県衛生研)、程雷(京大・健康増進行動学)の諸氏(敬称略、50音順)と皮膚科医の私という学際的混成部隊だった。

学校健診:チベットの子供たち
 堆龍徳慶県人民小・中学校に向かった。近代的で清潔だ。巨大な講堂が検診会場だった。裕福な沿岸諸省がチベット経済を支援しており公共施設は豪壮だ。独立運動など起きないよう中央政府も気を使っているらしい。標識は漢字で、横にチベット文字が小さく書かれているのが少し寂しい。テレビ放送もほとんど北京語である。漢化政策が行き届いている。
 子供たちが入場して来た。静かだ! 以前の西チベット旅行でも思ったがチベットの子供は礼儀正しくおとなしい(図2)。

写真1
 図2 健診を待つ小学生たち。最初は神妙な面持ちだった。


 しかし元気がない訳ではなく、はつらつとしている。日本の子供よりはるかに賢そうに見える。精緻な論理的仏教哲学(日本では珍奇な密教的側面ばかり強調されるが)や独特な伝統医学が興ったのも分かる。「文化」を感じさせるのである。目鼻立ちがはっきりした美男美女顔が多いのでなおさらそう思える。服装も比較的きれいである(日本製の古着が目立った)。

 耳鼻科・皮膚科・栄養検診とアレルゲンの皮膚反応検査を行った(高山病にもめげず計230名を健診)。日本人など見たことがないのか物珍しそうにわれわれを見つめていた。慣れてくると「ハロー」と声を掛けて来たり「マテマテ、チョトマテ」などわれわれの言葉をオウム返しに言って大笑いしたり、賑やかになってきた。そのうち、われわれの腕にぶら下がったり背中に跳びついたりワル乗りが始まり日本のジャリ共と変わらなくなった。せっかく誉めて上げたのに・・・

アトピーは存在せず:皮膚の健康とは?
 まず驚いたのは彼らの皮膚が、肌目細やかできれいなことだった(図3)。寒冷・乾燥から手足の乾燥や「しもやけ」が多かったがアトピー性皮膚炎は1人も見つけられなかった。それどころか「トビヒ」や「イボ」も日本の児童に比べ極めて少なく驚いた。
 入浴回数は月1回、洗髪も週1回程度だという。ただし体全体を毎日きれいに拭くそうである。乾燥・寒冷の苛酷な気候で水・燃料が貴重な当地では頻回の入浴など不可能だ。しかし、臭い子供も「垢つき病」もいなかった。彼らを見ていると「皮膚の健康とは、清潔とは一体何?」と考えさせられた。
 明らかな鼻炎もなし、皮膚反応陽性率も本邦児童に比べ非常に低かった。人種的に日本人とさして違わない彼らにアトピーが見られない理由は何であろうか?(詳細は日本皮膚アレルギー学会雑誌, 2002;10(4):176-9)

写真2
 図3 皮膚反応試験中に撮った児童の腕。やや乾燥しているがみんなきれいな皮膚をしている。


学童宅を調査させてもらう
 子供たちに案内され家庭のダニ調査も行わせてもらった。村は煉瓦作りの家が並び閑静である。壁にヤク(チベット牛)の〇〇〇が貼り付けてあった(図4)。燃料用に干しているのだ。草食動物なので臭くはない。「ヤクに立ちます!」などと駄洒落を言って高山病をごまかしながら歩いていった。しかし、笑うとしんどい。

写真4
 図4 役に立つヤクの〇〇〇。壁に貼り付けて乾燥させて燃料にする。臭くはない。


 掃除機で居間、寝室のホコリを採集しダニを検出するのだが、外国人に調査されるのは気が進まないに違いない。元学校の先生という皇后陛下似の上品な老婦人が説得してくれた。
 どの家も質素だが極彩色の布を壁や天井に飾りお洒落だ。皆さん実に親切でどの家でもバター入りのお茶で接待してくれた(図5)。飲まないと失礼になるそうで20杯近くも飲んだ団員もいた。

写真5
 図5 児童宅でバター茶を接待される。


一気飲み大会:ラサの夜は更けて
 ラサ人民医院の唐金海院長と病院幹部が歓迎会を開いて下さった。会場はポタラ宮殿近くの郷土料理店で一階はディスコになっていた。
 標高のため加熱困難でチベット料理は美味くないと観光案内に書かれていたがウソだった。薄味だがコクがあり上品で美味しい。「冬虫夏草」(この辺の特産)が大量に使われていた。魚料理はなかった。チベットと言えば風葬が有名だが、水葬の風習もあるので魚は食べないらしい。
 地酒はフルーツ・ワイン風でなかなかいけた。いけないのはわれわれの体調だった。高山病でちょっと階段を登ってもゼイゼイ喘ぐのに(まるで心不全だ)、酒がどんどん振舞われる。

 少女たちが歌いながら大きな酒甕を運び込んだ。チベット式一気飲み大会の始まりだった。チベット美人がわれわれ一人ずつの前で歓迎の歌を披露してくれる。歌が終わると客は一気飲みしなければならない。半分飲み干し、更に満杯に注ぎ直されて全部飲むという2段階方式だ。唐院長らはどんどん飲み干して行く(女性も)。院長は地区の党書記でもあり、戒厳令を敷く権限も持っておられるので、われわれが「一気!」と囃し立てるのを彼らも真似し「イッキ、イッキ」と盛り上がった(図6)。うれしいやら苦しいやらで夜は更けた。ほうほうの体でホテルに帰館。酔いと酸欠でぶっ倒れてしまった。

写真6
 図6 一気飲み大会の始まり


酔い覚めて・・・
 翌朝、二日酔いやら高山病やら分からぬままフラフラと市内を散策した。集合住宅や車も多い(図7)。デパート、スーパー、カラオケ等々何でもある。「神秘の国チベット」というのは昔話だ。
 雑踏の一角で五体投地して祈っている人々を見つけた。子供、若者も多い。信仰の伝統は残っているのだ。思わず酔いが覚めた。日本語を話せる漢族のガイド氏は「チベット人はコワイよ! お寺に全財産寄付しちゃうんだからコワイよー」とうなっていた(コワイんじゃなくてエライんじゃないの?)。現実主義の漢族と理想主義のチベット族の差異だろう。

写真7
 図7 土産屋た建ち並ぶラサ市内の繁華街(バルコル:八角街)


 一心不乱に祈り続ける巡礼を見ながら思った。「かつて唐や清をおびやかした程の強国であり古い伝統につちかわれた素晴らしいチベット。お前はどうなって行くのか? 単なる観光地になって行くのか? スイスのような産業立国を目指すのか? そして、お前の子供たちに、日本のようにアトピーや鼻炎で悩む者を見出さなければならなくなる日が来るのか?」
 団員の1人が路上で「ガラガラ」みたいなマニ車(チベットの仏具)をお土産に買った。帰途、同じ物がラサ空港、西安、上海と数倍ずつ値上がりして行くのに驚いた。次回はきっと私も買おう!


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