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3443通信 No.370

 

本土最北の下北・津軽2大半島ツアーレポ 3

院長 三好 彰


【3日目】8月14日(木)
 ツアー3日目、本日も晴天に恵まれるなか、むつグランドホテル館内に飾られたねぶた祭りの絵(図1)に見送られたツアー一行は、下北半島の西端を目指してバスに乗り込みます。

図01
 図1


本州最北の大間岬
 津軽海峡を臨む国道279号線を走っていると、大間のマグロで有名な大間町に辿り着きました。ここには本州最北である大間岬(図2)があり、対岸の函館汐首岬まではわずか17.5キロの距離しかありません。大気の状態が良ければ、ここから函館にある五稜郭タワーも見られるそうで、その地理的な近さが実感できます(図3、4)。

図02
 図2

図03
 図3

図04
 図4


 大型のマグロを腕一本で釣り上げるのをモチーフにした石像(図5)が、マグロの町・大間を上手く表していました。しかもこのマグロの像ですが、実際に大間の漁師によって吊り上げられた440キロものマグロがモデルになっているとか。
 間近で見ると、本当に一本釣りで釣れるのかと思ってしまうような迫力のサイズに、思わず感嘆のため息を漏らしてしまいます。

図05
 図5


海蝕で生まれた奇岩・巨岩だらけの仏ヶ浦
 下北半島の西の海岸沿いには、火山灰によって形成された緑色凝灰岩による断崖が、およそ二キロに渡って奇勝が広がっています(図6)。エメラルドグリーンの海と、そこからのぞく白緑色(びゃくろく)の奇岩・巨石の数々が並ぶ風景は、まるで別世界にいるような気分にさせられます。
 ちなみに、仏ヶ浦はもともと「仏宇陀(ほとけうた)」と呼ばれていたそうですが、これはアイヌ語で砂浜を差す「宇陀」から来ているそうです。

図06
 図6


 前回の旅レポでも触れましたが、青森県にはアイヌ由来の地名などが残されており、北海道(蝦夷)のアイヌとの交流があった名残が感じられます。
 まず私たちは、仏ヶ浦の北側にある佐井港を訪れ、そこから船に乗って現地に向かいます(図7)。海は比較的穏やかで、船は水しぶきを上げながら順調に進んでいきます(図8)。

図07
 図7

図08
 図8


 30分ほどすると、景色に変化が見えてきます。
 深緑の山に混じって、白く、尖ったような奇岩の数々が目立ってきました(図9~12)。

図09
 図9

図10
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図11
 図11

図12
 図12

図13
 図13


桟橋から上陸
 戦前から戦後にかけての天然記念物の指定や国定公園化に伴い、観光船用の桟橋が整備されました(図13、14)。
 上陸すると、岸壁から海を覗くとエメラルドグリーンの海中を泳ぐ小魚の群れが見えます(図15)。
 沖合から見るよりも巨大な奇岩の間を潜り抜けながら、約2キロに渡る自然が作り出した不思議な景色(図16~20)を堪能しました。

図13
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図14
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図15
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図16
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図17 如来の首
 図17

図18
 図18

図19
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図20
 図20


 約30分ほどの探索を終え、船に戻ります。
 再び会場からの景色(図21~24)を楽しみながら、あっという間に佐井港(図25)に戻って来ました。

図21
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図22
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図23
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図24
 図24

図25
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大間のマグロ丼で昼食
 仏ヶ浦の見学を終え、いちどむつ市街まで戻って来た私たちは、大湊湾を臨む下北名産センターを訪れます。
 こちらは総合卸売市場内に併設された物産店として、1986年に開業しました。まさに下北をギュッと凝縮したような山海の食べ物がズラリと並んでいます。その一角にある食堂で、地元大間で漁獲された大間のマグロ丼を実食(図25)! 大間で取れたマグロの大半は東京などに運ばれるため、地元の人はほとんど食べることがないとか。

図26
 図25


 青森と東京の中間である宮城人としては、この折角の機会を無駄にすることなく、新鮮なマグロをこれでもかとお腹に詰め込みました。ご馳走様です。
 食欲も満たされた一行はそのまま新青森駅へと運ばれ、東北新幹線で東京方面に出荷(?)されて行きました。

 全3回にわたってお送りした下北・津軽2大半島レポートは今回で終了です。
 次号は、今回訪れた津軽海峡を渡り、東北海道(釧路、厚岸など)を巡る旅についてご紹介していきます。

 お楽しみに。

おわり


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