3443通信 No.373
東北海道を巡る旅(後編)
総務課 青柳 健太
2025年9月に訪れた東北海道(釧路方面)の3回目の旅レポートです。
前号は、宿泊した十勝川温泉を出発し、阿寒湖・摩周湖を見て回り、目的地である厚岸町にたどり着きました。
【行 程】
・9月24日(水)
午後の便で仙台空港から新千歳空港に飛び、武永さんと合流。
道央の帯広市まで車で移動し、十勝川温泉のホテルで1泊。
・9月25日(木)
朝に十勝川温泉を出発。阿寒湖の遊覧船に乗船しチュウルイ島のマリモ展示観察センターを見学。阿寒湖アイヌコタンに立ち寄り、その後、屈斜路湖、硫黄山を巡って厚岸町へ。
夜、厚岸町関係者と情報交換。
・9月26日(金)
午前中に釧路湿原を見学。帯広で名物豚丼を食べて新千歳空港から仙台へ戻る。
【3日目】9月26日(金)
ずっと雨続きだったとは思えない爽やかな晴天に恵まれた厚岸の朝(図1)。
朝霧に沈む真っ赤な厚岸大橋(図2)はとても幻想的で、この海の湿気を含んだ空気が内陸へと運ばれ、昨日訪れた摩周湖へと流れ込んで濃い霧を生み出しているのだと、武永さんから説明を受けました。一向に晴れない“キリ”のない摩周湖の霧の謎が解けた気がしました。
昨日の歓迎会の会場でもあったお店で朝食(図3)を摂り、さっそく旅程最終日の目的地である釧路湿原へと向かいます。

図1

図2

図3
湿原の保全と開発の波
さて、釧路湿原と言えば、昨今話題となっている場所の一つでもあります。いまや全国的な広がりを見せる自然エネルギーの象徴ともなった太陽光発電(メガソーラー)ですが、この釧路周辺でも平野の至るところに太陽光パネルが設置されているのが散見されました(図4、5)。
今回私たちは、特に大きな話題を呼んだ釧路湿原の南西(釧路湿原野生生物保護センターの南側)にあるメガソーラー建設予定地を視察してきました。

図4 釧路湿原周辺のメガソーラー

図5 至る所に太陽光パネルが設置されています。
関連ニュース
・釧路湿原メガソーラー中止せず 事業者「かなり投資しており、立ち止まることできない」
・メガソーラー規制強化へ関係省庁初会合
国立公園内ではないとはいえ、周辺の湿地帯には希少な動植物が生息したエリアであり、施工業者による事前調査が不十分ではなかったのではないか?と地域住民は疑義を呈しています。
施工側も事業としてすでに大掛かりな先行投資を行っていると発言しており、引き返すことが困難な段階に来ていると主張しています。
メガソーラーの設置には安定した気候と広大な土地が必要となります。そのため開発が進んでいない過疎地や商業利用などが難しい森林などが選定されることが多いようです。
地主の方も、何にも利用されていない土地を抱える(固定資産税を支払い続ける)よりは、メガソーラー事業者(20年間の電力買取が保証されているFIT制度があります)に土地を貸すか売るなどしたほうが利益を得られるため、行政が規制しにくいという面もあります。
釧路湿原の保全と課題
この釧路湿原は、1980年に湿地に関する国際条約であるラムサール条約に登録された日本初の湿原です。氷河時代の残存種でこの地方の固有植物といわれるクシロハナシノブ。絶滅危惧種であるタンチョウやオジロワシをはじめとして哺乳類約39種、鳥類約200種の生物が生息しています。
また、日本最大の淡水魚であるイトウ(マンガ『釣りキチ三平』でおなじみですね!)やキタサンショウウオなどの希少な水棲動物の生息地でもあり、ほかの地域ではすでに失われてしまっている原生的な自然環境が残る貴重な場所となっています。
しかし、自然保護運動が盛んになる以前は、ただの湿地である周辺一帯は死んだ土地とも言われていたそうです。
その理由の一つが、土地改良に対するコストパフォーマンスにあります。産業化するにも広大な湿地を土地改良しないことには、地盤の緩い場所に建物を建てることすらできません。たとえ産業を興すにしても、より利便性に優れた土地の方が初期投資も少なくて済みますし、広い北海道では有用な土地は他にもあります。
そのため、あえて湿地を開発する必要性がなかったというのが大きな要因となっています。
そうしたなか、ラムサール条約の登録という話題性が契機となり釧路湿原の環境保護の機運が高まりをみせました。そして1987年に国立公園に指定されたことで観光名所としての注目を浴びたことで、観光産業という光明を見出すことになりました(図6~8)。

図6 図7 図8
しかしここにきて、大きな問題が出てきました。野放しだった土地のメガソーラー発電所の建設(図9)です。
国立公園外とはいえ、周囲の湿地にも多くの動植物が生息しているのは言うまでもなく、そうしたエリアを含めて釧路湿原の環境が形成されているのです。

図9 新聞などで話題になったメガソーラーの建設予定地
それにも関わらず、時限的なものであるメガソーラーを建設する必要性は果たしてあるのでしょうか。多くのメガソーラーの太陽光パネルはおよそ25~30年ほどで耐久寿命を迎えると言われています。広大な面積に設置されたメガソーラー設備を、設置企業は膨大な撤去費用を捻出し、責任をもって土地を原状復帰することが果たして出来るのでしょうか。
今のような一時的な投機・投資目的によるメガソーラーの設置を推し進めるのが、本当に適しているのかどうか。しっかりと長期的な展望に立って考える必要があるのではないかと、思います。
釧路市湿原展望台
厚岸町から1時間ほど車で移動し、釧路市の北西の峰にある釧路市湿原展望台(図10)に到着しました。赤レンガ調のタイルが、周囲の緑によく映える建物はまるで見張り台のようにも見えます。
この建物は、釧路市出身の建築家・毛綱毅曠(もつな きこう)氏が設計した作品で、他にも釧路市立博物館や屈斜路コタンアイヌ民俗資料館など、多くの施設の設計を手掛けられています(図11)。

図10 展望台の外観

図11
展望台の1階は売店とレストランが併設されており入館は無料ですが、2階以上の展示室と展望台に行くには入場料が必要です。当然、ここまで来て行かない訳もなく、売店で入場料を支払って、いざ展望台へ。
建物から外に出ると、一気に視界が広がります。眼下には濃い緑の山々と広大な釧路湿原の大パノラマが広がっています(図12~15)。
こうして見ているだけなら、自然豊かな美しい環境を感じることが出来ますが、この状態を維持し続ける努力はどれほどのものかと、自然との共生のバランスの難しさを考えてしまいます。

図12 釧路湿原のパノラマ

図13 雌阿寒岳(左)と雄阿寒岳(右)が見えます

図14 解説用の方位盤

図15 日本製紙の工場
展望台の2階は資料館になっており、昨日訪れた阿寒湖国立公園および釧路湿原の成り立ち(図16、17)や、文明の生い立ちを証明する出土品(図18、19)、環境保全への取り込み(図20、21)、マンガ『釣りキチ三平』でもお馴染みの幻の淡水魚であるイトウやタンチョウの生態など(図22~26)が丁寧に案内されています。

図16 釧路湿原の誕生

図17 旧石器時代に住んでいた人々の痕跡

図18 出土した縄文土器

図19 こちらも出土品

図20 図21

図22 幻の淡水魚イトウ

図23 イトウの一生

図24 こちらはタンチョウの模型

図25 タンチョウの年間予定

図26 植生している植物模型
名物豚丼を目指して
これで今回の目的地のほぼ全てを巡った私たちは、北海道の大地を西に向けてひた走ります(図27)。ずっと運転をご担当いただいた武永さんに代わり、青柳がハンドルを握ります。街中以外は信号もなく、渋滞の存在しない北海道の道路はとても快適ですね。うっかり眠気に襲われそうになるほどにスムースな車の旅となりました。

図27 快適なドライブ
さて、それでもお腹は空くものです。
お昼に差し掛かる頃に立ち寄ったのは、札幌・釧路間のほぼ中間に位置する帯広市にある道の駅『おとふけ』です。初日の夜にトイレ休憩で立ち寄った際にはキャンピングカーくらいしかなかった駐車場は、多くの来場者で賑わっています。
さて、こちらの道の駅には十勝地方に来たら食べなければいけない名物があります。その名物とは……はい。豚丼ですね。私の大好物の一つです。ブヒ(図28)。
この豚丼ですが、養豚業が盛んになった明治時代に高価なウナギに代わって甘辛い醤油タレを用いて焼いた豚料理がその始まりと言われています。北海道ではもともと牛馬の育成が主流でしたが、農業の機械化が進み農耕馬や牛の活躍の場が減り、運営困難となっていきました。

図28 絶品の豚丼
それと同時に、食の西洋化に伴い食肉の消費量が増えつつあったこともあり、1915年の畜産組合法への改定をきっかけにして養豚業の組合設置が法律改正で可能となったことから産業化が一気に進んでいきました。
それは兎も角として、犯罪的な匂いを漂わせる豚丼を早く食べたいと食券を購入し、テーブルで待つこと十分ちょっと(結構な人が並んでいました)。カウンターから供されたのは、香ばしいタレの匂いがたまらない豚丼です。
具はいたってシンプル。甘辛いタレのかかった網焼きした豚肉。それと懐かしのグリーンピース(笑)。
さて、そのお味は……。
うん。厚めの豚肉は想像以上に柔らかく、歯であっさりと嚙み切れますね。そして噛むたびに豚肉特有の味わい深さが、タレと共に口中に広がっていきます。これはたまりません。丼を手に持ち、カカカッとかき込みたい衝動を抑えながら(お仕事なので)、落ち着いて豚肉とご飯のバランスを考えながら口に運びます。
そして、あっという間に間食。
仙台でも豚丼を食べたことはありますが、やはり本場で食べる豚丼は一味違います。十勝のソウルフードと言ってもいいこれを食べられただけでも、今回の旅の意味があったのではないか!?と一人満足します。ごちそうさまでした。
その後は、満腹になったお腹を抱えながら新千歳空港へと向かい、飛行機に乗って仙台へと帰り着きました。
今回の東北海道を巡る旅は、長年お世話になってきた武永さんのご協力あってこそ実現できた旅でした。旅程全般の調整や宿泊先の選定など、地元の人しか分からない事情も加味した上で手配して頂いたことに、この場を借りて心からの感謝を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。
次は、西北海道の旅をしたいと、すでに次の目標に目を向けている院長。
また別の機会に、新たな北海道の魅力をお伝えしたいと思います。
おわり
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