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3443通信 No.376

 

台湾クルーズの旅
~南部最大の町・高雄(その3)~


 全3回でご紹介してきた台湾クルーズの旅も、今回で終了となります。
 本号では、台湾南部で最大の都市である高雄についてご紹介いたします。

【旅 程】
 12月26日(金):神戸港から出港。同27日(土)~29日(月)にかけて太平洋上を航海。
 12月29日(月):台湾北部の玄関港である基隆に入港。
 12月30日(火)~1月1日(木):台湾南部の高雄を見学。
 1月2日(金)~4日(日):クルーズの旅。神戸に帰港。

南部最大の都市・高雄
 台湾の首都・台北市に次いで、南部では最大規模の都市である高雄。その発展はオランダ統治時代である17世紀まで遡り、台湾語でターカウ(現地民族語で竹林の意)と呼ばれる小さな村から始まりました。大陸から漢人の移民によって人口が増加し、その後の清王朝による統治時代へと移り変わり、本格的な近代都市の基礎を築いたのは、日清戦争後の日本による統治時代からになります(前話をご参照ください)。

 日本の敗戦によって中華民国に統治が代わり今に至りますが、高雄(たかお)という呼び名は他の都市のように漢字の音読み(高雄=コウユウ)ではなく、日本統治時代からの名残として使われています。
 この地域の主な産業は米作とサトウキビによる製糖でしたが、日本統治時代に工業化が進み、その後も外国資本を取り入れるなどして製鉄、造船、石油化学コンビナートが建設され、重工業地帯へと発展していきました。

 余談ですが、日本一の高さを誇る山は富士山ですが、台湾が日本統治にあった時代には新高山(3,952メートル)が日本最高峰とされたこともありました。その山名は、日米開戦のきっかけとなったハワイ奇襲作戦の可否を決める暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」にも使われていることでも有名です。

高雄港に到着
 さて、私たちの乗るクルーズ船≪飛鳥II≫は、台湾北部の基隆港(キールン)を離れて一路南下(図1)。1日かけて南部の高雄港にたどり着きました。
 さすがに南部最大を謳う都市高雄の港湾エリアは、利便性に優れた整備が成されており、近代的なビルが立ち並ぶ海の玄関口に相応しい景観でした(図2~5)。

図01
 図1 海原を照らす朝日

図02 図03
 図2 高雄港             図3 広々とした埠頭

図04 図05
 図4 ターミナルビル         図5 見晴らしの良い港前


 港のターミナルビルにて台湾の美男・美女によるお出迎え(図6)を受け、高雄市街へと足を進めます。

図06
 図6 台湾の美男美女のお出迎え


蓮池潭(れんちたん)
 最初に向かったのは、市街北に広がる蓮池潭(図7~11)と呼ばれる大きな淡水湖です。沖縄よりも南に位置する台湾では、冬でも温暖な気候のためウォータースポーツを楽しむ姿が見受けられました。
 その蓮池潭の畔に立つ二つの塔は龍虎塔(図12)と呼ばれ、内部には仏教の説話にちなんだ壁画(図13~16)が描かれています。

図07 高雄市内あ 図08 マリンスポーツ
 図7 緑豊かな湖           図8 冬なのに温暖な気候

図09 図10
 図9 入口前             図10 風光明媚な蓮池潭

図11
 図11 鳥が休んでいます

図12
 図12 龍虎塔

図13
 図13 

図14 図15
 図14            図15 塔の内部

図16
 図16


医神を祀る慈済宮
 高雄の観光名所でナンバーワンとも言われるパワースポットが、こちらの慈済宮(図17)です。先ほどの龍虎塔の道を挟んだ向かい側にあり、保生大帝という道教の医学の神様を祀った廟です。
 生前は呉トウ(大+十)という福建省出身の腕の良い医者で、死後に神として祀られたそうです。

 この廟、本来は別の場所に建てられていましたが、日本統治時代に軍港建設にあたり移転することになり、現在地である蓮池路に至ります。
 やがて陽が落ち、暮れなずむ高雄の景観(図18、19)を船から眺めながら、ゆっくりと時間が過ぎていきます。

図17
 図17 慈済宮の外観

図18 図19
 図18 暮れなずむ高雄            図19 


命の水・烏山頭ダム
 その翌日。大晦日であるこの日は、私が今回のツアーで一番楽しみにしていた場所に訪れました。そこは3443通信No.374(https://www.3443.or.jp/news/?c=19212)ですでにご紹介しました日本人技師の八田與市氏が手掛けた烏山頭ダム(図20、21)です。

図20
 図20 烏山頭ダムで作られた珊瑚潭(さんごたん)

図21
 図21 ここから嘉南平原に”命の水”が届けられました


 高雄の北に広がる穀倉地帯・嘉南平原は、かつては水不足に喘ぐ厳しい環境に置かれていました。それはこの地を統治したオランダや、その後の清王朝などによる灌漑事業の悉くが衰退し、遺跡化してしまったことからも伺えます。

 日清戦争後に台湾統治を担った日本もその限りではなく、本土での米騒動も相まって食糧・水不足の打開は急務であったため、八田技師が中心となって世界でも稀な大規模灌漑工事に乗り出しました。
 その詳細は、上記バックナンバーが詳しいのでご参照頂ければと思いますが、八田技師たちや現地住民の血の滲む尽力によって工事は完了し、現在の緑生い茂る穀倉地帯となる礎を築いたのです。

 今でも湖を臨む丘には、ダムの工事中によく見られた八田技師の姿を模した銅像が、“命の水”のたまる烏山頭ダムを見守っています(図22、23)。

図22
 図22 八田與市技師の銅像と夫妻の墓碑

図23
 図23 銅像に周りに植えられた花

 


鄭成功の居城・赤崁楼(せきかんろう)
 赤色の映える趣のあるこの建物は赤崁楼と呼ばれる旧跡で、1653年にオランダ人の手によって築城されたお城です(図24)。当時の台湾では、入植してきたオランダ人と漢人(明帝国)との間で領有争いが起きていました。
 その後、明との間に講和条約が締結されると台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島の経営を放棄したオランダは台湾南部にその拠点を移し、台湾初となるヨーロッパ式都市・普羅民遮街を建設します。

図24
 図24 赤崁楼


 しかしその統治に不満を持った漢人たちによる暴動が起きたため、オランダ人は再発防止のため、『プロヴィンティア』と呼ばれる城――漢人たちは赤崁楼と呼称した――を築城しました。
 高さ10.5メートル。外周141メートルの城壁に覆われた城塞内には、有事の際には立て籠っての防衛線を想定した井戸など(図25、26)も確保されていました。

図25 図26
 図25 城内の井戸       図26 きれいな池もあります


 清王朝によって明が滅亡すると、明の軍人だった鄭成功を始めとする抵抗軍は台湾に渡り、勢力の立て直しを図ります。この鄭成功は日本の長崎県平戸島(現在)の生まれで、福建省人の鄭芝龍と、日本人女性の田川マツとの間に生まれたいわゆるハーフです。

 その鄭成功が台湾に渡り、オランダ人の統治していたゼーランディア(現在の台南市安平区)を襲撃。そしてその北にあるプロヴィンティアをも手中に治めます。
 こうして38年に及ぶオランダによる台湾統治は終焉を迎え、鄭成功ら漢人の手による統治が行われることになります。

 ですが、わずか半年後に鄭成功は病没。長男の鄭経が政権を握るも1681年に死去してしまい、その2年後の1683年、鄭氏は清王朝に降伏。鄭氏による台湾統治は終了します。
 台湾の発展を見ることなくこの世を去った鄭成功ですが、台湾や中国では民族的英雄として称えられ、特に台湾では中華民国の国父・孫文、初代総統の蒋介石に並ぶ三人の国神の一人として尊敬を集めています。

 かつては軍事拠点だった赤崁楼ですが、現在では台南市立博物館として整備されており、台南でも有数の観光名所となっています。
 また、敷地内にある文昌閣(図27)には魁星帝君(図28)と呼ばれる学問の神様が祀られており、資格試験や検定試験を控えた受験生が合格祈願のために訪れるのだそうです。

図27 図28
 図27 文昌閣                図28 学問の神様・魁星帝君


ふたたび海の旅へ
 高雄観光を終えた私たちは再び船上の人となり、2025年の大晦日を過ごしました。
 明くる日、海の上で初日の出を拝むことが出来ました(図29~31)。視界には海と空しかないシチュエーションで拝む朝日はとても綺麗で、新しい年の始まりを力強く告げてくれました。

図29(2026年1月1日) 図30(2026年1月1日)
 図29 元旦の太平洋              図30 洋上で迎える初日の出

図31(2026年1月1日)
 図31 輝くご来光


 朝食では、それは豪華なおせち料理(図32)がテーブルに並び。年明けからお腹が破裂するかと思いました。
 そのまま三日間は船上で過ごした私たちは、約1週間ぶりとなる神戸に戻ってきました(図33~36)。

図32(2026年1月1日)
 図32 おせち料理が振舞われました

図33(2026年1月1日) 図34(2026年1月2日)
 図33 台湾をぐるっと回って帰国        図34 1月2日の朝日

図35(2026年1月3日) 図36(2026年1月4日)
 図35 1月3日の朝日             図36 1月4日の朝日


船上のグルメ
 最後に、今回のクルーズで供された美味しい料理の数々をご紹介します。これで飛鳥IIに乗船するきっかけになればと思っています(図37~46)。

図37 図38
 図37                    図38

図39 図40
 図39                    図40

図41 図42
 図41                    図42

図43 図44(2026年1月2日)
 図43                    図44

図45(2026年1月3日) 図46(2026年1月3日)
 図45                    図46


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