3443通信 No.368
癒しの楽園・南インドツアーレポ4(終)
院長 三好 彰
今話で南インドを周遊するツアーレポは終了です。
昨年の北インドのレポートは3443通信 No.352をご覧下さい。

【6日目】5月22日(木)
優雅な水上のハウスボートでの一夜を過ごし(図1)、この日は船を降りて南インドの産業都市であるコチ(コーチン)に向かいます。
でもその前に、シェフの作る朝ご飯を食べてからでも遅くはないでしょう(笑)

図1 舟窓からみる水郷
この写真(図2)を見て、これが船にあるキッチンだとは誰も思わないでしょうね。
船から降りて(図3)、専用バスに乗り込んだ私たちは、60キロほど北にあるコチを訪れました。

図2 船上とは思えません

図3 陸に向かうツアー一行
香料貿易で栄えた港町コチ
南インドの主要な都市であり、古くはフェニキア人や古代ローマ人、アラブ商人やユダヤ人などが訪れ、中東諸国との香料貿易によって栄えてきました。しかしヨーロッパで航海技術の発達による大航海時代が訪れると、ポルトガルやオランダ、イギリスなどの海洋強国による支配を受けるなど苦難の時代を歩んできました。
有名なポルトガルの探検家であるヴァスコ・ダ・ガマは、アフリカ最南端の喜望峰を巡りインド航路を発見した最初のヨーロッパ人ですが、彼が3度目の航海でインドを訪れた際、コチでその生涯を終えました。
彼の葬儀は、後述する聖フランシス教会で執り行われました。
ちなみに、このコチには古代ユダヤ人たちの住まう町がありました。
古代イスラエル王国(紀元前11~8世紀)が分裂した際、チリジリになったユダヤ人たちは居住地を求めて世界各地へ散っていきます。
実は、ソロモン王の治世時代からイスラエルとインド亜大陸は交易していたことが分かっており、王国分裂時に東に逃れたユダヤ人たちの一部はインドへ辿り着いて定住したと言われています。
インド最古の欧州建築・聖フランシス教会
ケーララ州のなかでもアラビア海に面した西端にある半島のフォート・コチ地区に、ひっそりと佇む西洋風教会(図4~6)が聖フランシス教会です。
この教会は、1500年代初頭にこの地を訪れたポルトガル人によって建てられ、インドでも最古のヨーロッパ建築として保存されています。

図4 聖フランシス教会の外観

図5 教会内部

図6 なんの花でしょう……
前述したヴァスコ・ダ・ガマ(図7)も、亡くなった後にこの聖フランシス教会に安置され、彼の死後14年が経ったのちにその遺体はポルトガルに返還されました。
教会内部には、彼の名前が彫られた慰霊碑が残されています(図8、9)。

図7 ガマの肖像画

図8 ガマの碑

図9 ガマの名前が彫られています
巨大網で魚を掬うチャイニーズ・フィッシング・ネット
聖フランシス教会前のリバー・ロードを北に少し歩くと、雄大なアラビア海の光景が広がっています。
その境にあるビーチに、なにやら木材で組まれた巨大な網(図10、11)がいくつも海に突き出ているのが目に留まりました。

図10 なにやら独特な形の網が……

図11 魚を掬いあげる巨大な網
一見すれば船の帆か建築機材にも見えるこの網は、かつてマカオにいたポルトガル人によって伝えられた漁法で、巨大な網を水中に沈めて、魚が網の上を通ったら引き上げるのだそうです。
近くには魚屋さんもあり、そこで購入した海鮮類を向かいの食堂に持っていくと、有料で調理してくれるとか。港町らしいサービスですね。
海沿いの散歩(図12)をしながら、近くのスパイスマーケットでお買い物タイム(図13~15)。日本ではなかなか目にすることのない量のスパイスは、さすがスパイス料理の本場インドらしい品揃えです。

図12 色鮮やかな花

図13 豊富なスパイスが並んでいます

図14 その中央にはガネーシャの御姿が

図15 お土産屋さん
伝統舞踏カタカリ・ダンスショー
今回のツアー最後の見学場所は、インド4大舞踏のひとつと言われるカタカリ・ダンスショーです。カタとは物語、カリは舞踏を指す言葉で、その特徴は演者はセリフを一切喋ることなく、指の動きや表情を用いてストーリーを語ることにあります。
その本番前にお勧めと言われているのが、演者が役柄のメイクアップをするところやダンスショーのリハーサル見学です。
いたって普通(?)の見た目の男性が、みるみる女形に様変わりしていくのは、なんとも興味深く見てしまいました(図16~22)。

図16 まずはお化粧……

図17 みるみる顔が変わっていきます

図18 お化粧の完成!

図19 軽快な太鼓がほぼ唯一の音源です

図20 燭台に火が灯ります

図21 手と目の動き、そして表情で物語を表現します

図22 本番前のデモンストレーション
ガイドさんから貰ったショーのメモ内容(図23)によると、天国(ケララ)の王の息子ジャヤンタに恋をした羅刹女(魔人)が、自身を美女の姿へと変えてジャヤンタを誘惑しようとします。しかし、美女が偽りの姿であることを見破ったジャヤンタは羅刹女を一刀のもとに斬り伏せ、羅刹女は天国から追い出されてしまうというストーリーです。

図23 日本語の解説もありました
このストーリーが伝えるのは“悪はどんな時でも退治される”という勧善懲悪が主題となっています。
いざ本番になると、ミラーヴと呼ばれる壺に牛革を張った太鼓の音色とともに、派手な衣装と化粧を施した演者二人が登場して、舞台の上でカタカリの披露してくれました(図24~26)。
ガイドさんのメモのおかげでストーリーの全容を把握して観れたこともあり、異国の伝統舞踏ながらすんなりと鑑賞することができました。
また、このカタカリはいくつかの点で日本の歌舞伎に似ていると言われているそうで、日本の歌舞伎役者である尾上菊之助氏は、日印友好交流でインドを訪問した際にカタカリについて「非常に迫力があり、手や目の動きは歌舞伎のルーツなのではないか」と感想を述べたそうです。

図24 派手な衣装に身を包んだ演者

図25 どこかコミカルにも見えます

図26 古代のインドにタイムスリップ!
ダンスショーの見学後、夕食をとった私たちはコチ国際空港から帰国の途に就きました。
昨年に続き、2度に渡る北・南インドの旅でしたが、いずれもインドならではの歴史や文化を肌身に感じさせる有意義なものになりました。
インドの大地はとても広く、全ての場所を訪れた訳ではありませんが、また機会があれば再訪してみたいと思っています。
おわり
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