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3443通信 No.368

 

岩沼・千年希望の丘『希望の灯火』取材レポ

秘書課 菅野 瞳 

図01 岩沼灯火②


 去る2025年3月10日(月)、岩沼市にある“千年希望の丘”で行われる東日本大震災追悼行事『希望の灯火』に参列して来ました(図1)。大震災の記憶を風化させず教訓を後世に伝えようと、岩沼市や地元の住民協議会が毎年実施されています。

……しかしながら、年々参列者が減少し固定化してきたことから、本年で7回目の開催をもって最終となります。

復興から未来へ
 東日本大震災当時、宮城県南部に位置する岩沼市は、市の面積の48パーセントが津波で浸水し、沿岸6地区(相野釜、藤曽根、二野倉、長谷釜、蒲崎、新浜)が大きな被害を受けました。津波被害により居住が難しくなった沿岸地区の土地を活用し、約10㎞に渡って公園と園路が整備され、千年先まで子どもたちが笑顔で幸せに暮らせるよう願いを込め『千年希望の丘』と命名されました。

 この丘の土台には、震災に遭われた方々の思い出が沢山詰まった宝物(俗に“震災がれき”と言われますが、私は使いたくない言葉です)が用いられているのだそうです。

 追悼行事の開始時刻まで、暫し時間の余裕があった私は、会場の目と鼻の先にある東北の玄関口・仙台空港上空を飛行する飛行機の風切音が響く中、手作り灯籠が設置された園内を歩いてみることにしました(図2)。

図02
 図2


 一つ一つに想いが込められ、丁寧に仕上げられた灯籠を眺めながら、丘の最頂部まで上がって行くと(図3、4)、眼下には慰霊碑を包みこむように設置された350挺もの灯籠が並ぶ光景が広がっていました(図5)。
 そして、慰霊碑へのアプローチには、慰霊碑への道筋を際立たせるかのように、岩沼市の犠牲者数と同じ181挺の灯籠が並べられており、厳粛な雰囲気に満ちていました(図6)。

図03
 図3

図04 岩沼灯火③
 図4

図05
 図5

図06 岩沼灯火
 図6


 時計の針が17時半をまわり、慰霊碑の前では、追悼セレモニーが始まりました(図7)。この追悼行事を運営されていた玉浦西地区の会長様からは、「14年という時が経っても、仲間を失った悲しみが蘇る。教訓を風化させず、後世に語り継いで欲しい」と挨拶があり、また同じく岩沼市長からも「震災の記憶の風化防止に、不退転の覚悟で臨む」という決意表明がありました。

図07 岩沼灯火④
 図7


 追悼セレモニーが終わりを告げる頃には、陽もすっかり傾き、灯籠のあかりが温かみを増し、丘の上から見下ろした光景とは、一味も二味も違った非日常の雰囲気に包まれました。
 犠牲者の方の供養や故人への想いを馳せ、灯籠を見つめる参列者の方々の眼差しは、穏やかで優しくはありながらも、この追悼行事は最後になってしまっても、東日本大震災を絶対に忘れず語り継ぐという、確固たる決意が込められているように感じました。

 冒頭でも触れましたが、3月10日に行われるこの追悼行事が、3月11日に起きた東日本大震災の追悼と趣旨が重複しているという声もあり、本年度の開催をもって最終となることは大変残念でなりません。

 来年度からは、追悼行事の形式は変わってしまいますが、引き続き3月11日には、同公園内に献花台が設置されますので、変わらぬ追悼の想いを胸に、白菊の花を手向けに、足を運んで頂きたいと思います(図8)。

図08
 図8


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